※捏造神田母注意※



「はぁ、はぁ、はぁ、」

 どれ位走っただろう。
 いつもならとっくに家の玄関が見える程には走った筈なのに、周りの景色は変わる様子が無い。
 もっと、もっと早く走らないと――――――


 じゃないと、「アレ」に捕まる。








 今よりもまだ小さな頃から、ラビは所謂「視える」子供だった。
 部屋の隅に、電信柱の影に、或いは窓の向こうに、「白い人がいる」と親に訴えて怒られた回数は数知れず。何時しか視えて居ても、それはラビの心の中に仕舞われていた。
 だが、そんなラビに一つ問題が降りかかった。
 小学校も高学年に入ってまもなく。
 それまで見えているだけだったそれらが、襲い掛かってくるようになったのだ。

「〜〜〜〜〜っ」

 誰も、ラビを追う濁った白の人影など見えていない。周囲の大人にも、誰にも頼れない。逃げ切らなければ。
 ――――――でも、何処へ、どれだけ逃げればいい?

 ガッ

「痛っ!」

 小石に躓いてラビは道路へ体を投げ出した。打ち付けた膝や顎に熱が走る。だが不幸中の幸いにも、それが痛みであるとは気づかない。否、気付けない。それどころじゃないのだ、今は。

 立ち上がり、駆け出そうとして――――――足が竦んだ。
 何時の間にか後ろから追って来ていた筈の白い影は、目の前にいた。目があったのであろう部分の黒い空洞からは血色の涙が流れ、口元からも同色が滲んでいる。ニィ、と笑みの形になるとでろりと血が溢れだした。
 最早ラビは、動くことも出来なかった。ただ、目の前の恐ろしい者に視線を奪われ、確かな死の予感に、呆然とする他無かった。

「待て」

 割り込んできたのは、凛とした声。眼前の白い影の動きがピタリと止まる

「低級の分際でうちの近くで人を襲うとはいい度胸だ」

 後ろから声に、振り向いた。
 そこにいたのは、俺と同じ位の年頃だろう、黒いランドセルを背負った、女の子みたいな――――――きっと男の子、だろうか。
 手には30センチ物差し。…………物差し?
 

「天清浄 地清浄」

 彼が一歩踏み出した。
 同じ位の距離、白い影が下がっていく。
 俺は一人と一つを交互に見て途方に暮れるしか無い。

「内外清浄 六根清浄」

 物差しに、光が集まっていくのが見えた。
 驚いてじっ、と彼を見る。やがて俺の前を通りすぎて影の前に出た少年は、突然跳びかかり――――――

「――――――滅せ」

 物差しで、影を一刀両断した。
 瞬間、キィンと耳の奥に嫌な音がする。耳を抑えてやり過ごしていると、

「やっぱりコイツか」

 ふん、と鼻を鳴らした少年が、ランドセルに物差しを仕舞っているところだった。影は、もう無い。

「…………えっ」
「可笑しいと思ったんだ、こんなとこに結界が出来てるなんて」
「、あ、の、」
「? あ。何だお前、怪我してんぞ」
「え、あ、痛っ!!」

 少年の一言で膝の傷を思い出したラビは、思い出したと同時に突然痛んだ膝と顎に涙目になる。
 そんなラビを見て溜息を吐いた少年は、ラビに手を伸ばした。

「来いよ。うちはすぐそこだ。手当くらいしてやる」







 少年に連れられて訪れた先は、一つ角を曲がった先にある神社だった。神社など正月と祭りの頃にしか来ないラビは戸惑って隣の少年を見る。

「? 何だよ?」
「此処って、神社さ?」
「そうだ」

 見りゃ分かるだろ、と言いながら少年は赤い鳥居を潜って奥へ。先程の事もあり、できればオカルト的な物には近寄りたくないラビはどうしようか思案したが、少年が鳥居の向こうで待っているのを見て覚悟を決めた。鳥居を潜った瞬間、ゴムで弾かれたような痛みが両頬に走る。

「わっ、…………?」
「…………」

 そんなラビをちら、と横目で見た少年は社務所に向かった。その前では一人、巫女服の女性が前を箒で払っている最中だ。

「ただいま」
「あら、ユウお帰りなさい。…………お友達?」

 女性はラビを見て、小首を傾げ――――――あら、と呟いた。ラビはてっきり怪我を見ての反応だと思ったが、本当は違う。

「手当してやってほしいんだ。あと、封じられるなら封じた方が」
「そうねぇ…………見事な先祖返りねぇ」
「え?」

 封じる?
 先祖返り?

 何が?

 驚いて目をぱちくりさせるラビに、少年はさらりと告げた。

「お前の先祖の誰かに妖怪が居るんだ。だからお前にはあの霊が視えた」
「えっ、俺!?」
「初めてじゃねぇだろ? ああいう奴が見えたり、追っかけられたりしたのは」
「あ…………うん」

 何時も追いかけられて、逃げて。
 ――――――あぁそうだ、この神社の前まで来ると、いつの間にか影は消えていた。

「ああいった類の輩は、視える奴を襲うんだ。だから襲われないようにするには、視えなくなるようにするしかねぇ」
「ねぇ君、お家はお祓い屋さんとかじゃないわね? だったら封じちゃった方がいいと思うの」

 綺麗な巫女は腰を屈めてラビに視線を合わせた。とても綺麗な彼女に見つめられて、ラビは自然と顔が赤くなる。

「祓えないなら見えないほうが、襲われる数も減るでしょうし。ね? そんなに掛からないし、痛くも何ともないから」
「は…………はい、」

 どぎまぎしたまま頷いたラビに、巫女は笑った。

「ユウ。この子を拝殿の方に連れていくから、禊いで着替えてらっしゃい。手伝ってね?」
「分かった。身滌大祓でいいのか?」
「ええ」

 少年は一人社務所に入り、ラビは巫女に手を引かれて拝殿に向かった。






 拝殿の真ん中に寝かされたラビの近くで、巫女はさらさらと塩を巻く。

「用意できた」
「ユウ」

 そんな所に声が掛かった。――――――少年は先程までの普通の格好から、着物ともまた違う衣服に改めている。
 髪はまだ濡れており、黒々とした髪は艶めいていた。風邪を引くでしょうに、と笑った巫女が布でその髪を拭う。

「あ、そうだ。クロスがこれを」
「何かしら…………。呪布?」
「封じるならこれを使えってさ。鬼混じりだろうから、あの人の力がよく効くって」
「気付いてるなら布だけ寄越すんじゃなくて手伝ってくれてもいいのに」

 ケチなんだから、と肩を竦める巫女が、気分を入れ替えるようにパン、と手を叩いた。

「じゃあ、始めましょうか!」




「「掛まくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓へ給ひし時に成り座せる祓戸の大神等」」

 二人に取り囲まれているラビはボーっと天井を仰いだ。
 不思議な音で紡がれる言葉はラビの知らないもので、理解も出来ない。ただ、不思議と体がポカポカとしてくる。
 特に右の目の奥がほわりと暖められてほぐれるような、不思議な心地だ。

「「諸々の禍事 罪 穢有らむをば 祓へ給ひ 清め給へと白す事を 聞食せと 恐み恐みも白す」」


「「極めて汚も滞無れば穢とはあらじ 内外の玉垣清淨と申す」」







「…………何これ?」
「眼帯」

 見りゃ分かるだろ、という顔の少年にいやいやいや、とラビが手を振る。

「そりゃ分かるんだけど!? 変、変だから!」
「いいんじゃねぇの、そういうキャラ付けすれば」
「キャラ付けって何!? おかしーさ!!」
「お前結構力強いから。視力に影響しないようには封じ切れなかったんだ」

 少年はさらりと空恐ろしいことを言う。
 右目を覆う布切れはまるでアニメの中の海賊みたいだ。
 でもこんなのを四六時中しろなんて言われたら堪らない。

「お前が自分でコントロールできるようになれば、いらねぇだろ。何なら母上にコントロール習うか?」
「? お母さん?」
「さっきまで居ただろ」
「…………えっ」

 そうだ。先程までいた巫女は、目の前の少年とそっくりな顔をしていた。
 なら当然、そういう事だろう。
 少し考えれば分かりそうなことだが、考えつかなかったラビは初恋が呆気無く散って思わず涙目になる。
 そんなラビを、少年は心底不思議そうな顔で見やった。



 それがラビと、この世の非日常との出逢いだった。
 その日以降ラビは少年、「神田ユウ」とその取り巻きの世界に容赦なく巻き込まれていく事になる。


 仔神田の武器は物差し。まだ危ないから六幻は触らせて貰えない。
 ラビの眼帯キャラはこの時から。