「…………――――――」

 一瞬反応できなかった。何も。
 ふざけんな、と叫びたくなって、けれど同時に冷静な部分がそんな事俺に言えた義理などあるかと冷静に諭してくる。
 ギリ、と爪を拳の中に握り込む事で激情を何とかやり過ごして平静を装う。作り笑顔を向ければ相手も同じくらい白々しい作り笑顔。

「…………お前さんがユウが好きだったってのは、初めて知ったさ」
「でしょうね。好きになったのは君がいなくなってから、あの子達が生まれてからです」
「結婚間際の他人の女に惚れるってのはよく聞くけど、子供を生んだ女に、ってのはあんまり聞かんさね」

 アレンは笑った。淡い、そして憐れむような、微妙な色を添えた表情で。

「まぁ、人のものを見て惜しくなるとか、そういうのとは違いましたから。――――――僕は、知らなかった」
「何を」
「彼女が大切な者にはあんな風に微笑みかけるなんて、知らなかった。正直僕の中の彼女のイメージは恐ろしい程怒りっぽい人でしたから」
「…………」

 ああ。アレンは知ったんだ。
 ユウが、どんな風に笑うのか。
 普段は表情を崩さない彼女が、どれほど美しく笑うのか。

 あれは聖女にも似た美しさだった。

「母親になって彼女は変わりました。僕達は勿論それまでの因縁なんて関係なしに、一人で母親になることを決めた彼女のサポートに力を惜しむつもりはありませんでしたけど、彼女は必要とあらば僕にも、ファインダーにも頭を下げた」
「…………」

 記憶にある限り、ユウはそのどちらとも仲が悪かった。しかも、あのプライドの高いユウが。
 微かな驚きと動揺を見透かされたか、

「裏を返せば、それだけ大変だったという事です。――――――まさか、七年間、ただ彼女が子育てに精を出していただけだとは思ってませんよね」

 細められた眼光は鋭い。

「七年前。…………未婚の彼女が妊娠したことには風当たりはありましたが、バチカンは堕胎を禁じていますから子供を産む事自体には反対されませんでした。だけど、」

 ぞわり、と首筋が泡立つほどの怒り。苛立ち。アレンから立ち上る殺気めいたものに息が詰まる。

「分かりますか? …………適合者同士の間に産まれた子供が、どれほどバチカンにとって得難い「実験体」になるのか」
「――――――!」
「バチカンは七年前からずっとあの子達を、セカンド、サードに続く『第四の使徒』に仕立てようとしていました。――――――それでもコウ自身が適合者だった事が幸いして、今はあの子達が産まれた当初程ではありませんが、でもあの子達は産まれてから何度も誘拐されかけた」
「…………」

 淡々と語るアレンの瞳には隠しきれていない怒りの置き火がちらちらと見え隠れしていた。

「僕やリナリー、ティエドール元帥達で何度あの子達を誘拐しようとした鴉やバチカンの手先を血祭りに上げたことか」

 あの温厚だった筈のアレンが。
 情け容赦なくイノセンスで蹴散らす様を思い浮かべ、恐ろしい事を、と思う。
 だが真に恐ろしいのはそこまでさせたバチカン側だろう。
 考えが知られたか、アレンはふ、と物騒な笑みを浮かべた。

「鬼畜の所業に、相応しく報いただけです」
「…………」

 あぁ、きっとそれだけではないんだろう。あった事も、アレン達がした事を。

「僕は、神田を、そして子供達を護りたい」

 改めてアレンは俺を強く見据えた。それは睨むにも似たような強さだ。

「――――――いずれ此処を出ていくつもりなら。そこで黙って見守っててください、ラビ」

 その言葉に、俺は初めてアレンの敵愾心を知った。











 食堂で、今日のおやつを一口食べた少女は直ぐ様感想を漏らした。自分達のすぐ傍に立っているそのケーキの作者にニコニコと笑顔を向ける。


「おいしい!」
「喜んでいただけたようで何より」

 背の高い椅子に座って足をパタパタとさせる少女の姿に、周囲の大人の眼差しは優しかった。

「兄様、おいしいねぇ!」
「…………人参の味、しないな」

 林檎と人参を使ったオレンジ色のケーキを妹に続いて一口食べた少年も感想を述べる。妹に比べて素直で無いのは彼らが産まれてからずっと見守っている周囲の人間にしてみれば解り切ったことだ。

「リンク、ジェリー。何時も悪いな」
「いえ。気分転換になりますから」

 ルベリエから伝授された製菓の腕前を存分に発揮するリンクに神田が小さく頭を下げた。
 教団に今はたった二人しか居ない子供達の為だけに栄養計算された子供の食事が供され、そしてこのように菓子まで与えられている。
 それら全てが周囲の人間の協力によるものだ。
 ――――――ふと七年前の事を思い出してしまう。それは先程教団内で鉢合わせした、子供達の父親のせいだろう。まさか、また来るとは思ってなかった。
 妊娠したことが分かって、でもその相手はもう居なくて。
 それを恨みはしなかったが、父親など、夫など不要、一人でも育て上げてみせると意地を張ったのも事実。
 蓋を開けてみれば七年間、周囲の手を借りなかった事など無かったのに。

「母様?」
「…………うん? どうした?」

 心此処に非ずに気付かれたか、怪訝そうな娘に視線を向ける。
 俺はエクソシストだ。それは今でも変わらない。任務に出てしまえば何日と戻らない事もある。だからこそ此処にいる間位は子供の事だけを考えていたい。
 けれど今心を乱すのは、あの男の事だ。

 …………嫌な時期に見てしまった。

 聡い子供達は確実に気づいている。酷く荒れた感情を向けたコウも、何も言わず何もなかったかのように振舞うユイも。知っているから、何も言わない、訊かない。
 七歳の子供にそんな気遣いをさせてしまうことが心底情けない。
 七年間一度足りとも訊かれなかった。――――――「父親は誰」「どこにいる?」。
 それが禁句である事に、俺が答えようの無い事を知っている。


 ――――――。だからこそ俺は子供達の為に応えなければならない。
 必要なのは安定した、幸福だと、そう思えるような環境。

 だから、なぁ。
 お前は――――――必要ないんだよ。


 微かにざわついた食堂の入り口、そこでアレンに伴われて佇む男を、そんな念を籠めて見据えた。
 




 恨んではないけど、でも正直関わり合いにならないで欲しいと思ってる神田。
 アレンはこれで結構焦ってます。



 2011神田誕生日記念特設ページへ
 小説頁へ