神田家の迎え、リンク・ハワードだ――――――そう名乗った人に連れられて僕は空港を離れて遠いところへ来た。此処で放り捨てられたらきっと帰れないだろう。土地に明るくない。
此処だ、と車降ろされた時は緊張した。そこに居た人々――――――大人だ――――――の視線は僕に注がれている。それには僕が予想していたほどの敵意や冷たいものは含まれていなかった。もっとこう、罵るような物を想像していたんだけど。どちらかと言えばそれは同情、に近かった気がする。
やがてそんな大人の間から、僕とそう変わらないだろう歳の女の子が出てきた。彼女は僕を連れてきた男の人に問う。
「リンク。そいつか?」
「ええ、若。彼が貴方の…………、弟です」
「!」
一瞬言いよどんだ迎えの人に、僕はこの人が父さんの(今となってはそう呼ぶのも憚られるけれど)正妻の娘、僕の姉に当たる人なのだと悟った。
「お前、名前は?」
姉さん(推定)は、腕組みをして僕を上から下まで眺めつつそう訊いてきた。
「ア、…………」
名乗ろうとしたのに緊張しすぎてうまくいかない。
「…………リンク、通訳」
「彼は言葉に不自由していないはずですが…………『若が貴方の名前を聞いています』」
『…………』
違う、言葉が分からないじゃない。言葉は、何時か父さんと暮らす時が来たら、と小さな頃から母さんと一緒に習っていたから普通に理解できる。
緊張して、肩から掛けていた鞄の紐を握りしめて俯いた。どうしてだろう、他の大人の視線は全然気にならないのに目の前の姉さんの視線だけは怖い。
敵意なんて全然ない。ただ真っ直ぐ貫くような視線なだけだ。
「…………何だよ、俺が虐めたみたいじゃねぇか…………母上にどやされる」
「無実である事は私が証明します、若」
「名前聞いただけだぞ?」
「彼は緊張しているのでしょう」
「リンク、コイツ言葉大丈夫なんだよな?」
姉さんは僕の手をとった。
びっくりした。凄く熱い。いや違う、姉さんの手が熱いんじゃなくて僕の手が冷え切ってるんだ。
「よく聞け、チビ。俺がお前の兄貴だ。兄上と呼べ」
「!?」
えっ…………!? 兄、…………男!?
びっくりして思わず顔を上げて凝視してしまう。綺麗な、そう、本当に綺麗な顔をした――――――…………
「貴方が僕の、兄さんなんですか…………?」
「…………あぁ。そうだ」
確認のためにもう一度、聞いておく。
初めて僕が喋ったからか、兄さんが少し驚いた顔(言葉が出来たことにだろう)した。
「髪と肌の色の違う兄貴は嫌か?」
「!」
否定の為にブンブンと首を振る。すると、兄さんはパッ、と花が咲いたみたいに破顔した。
「お前は今日から俺の弟だ、モヤシ!」
「モヤシ…………?」
「…………?」
リンクが怪訝そうに呟いた。
モヤシって、何?(僕がその「モヤシ」の正体を知ったのはそれから四日後のことだった。)
「お前はあの男の事、嫌いか?」
「え…………」
姉さん改め兄さんに連れられて大きな家の中の入った僕はお茶とお菓子を貰いながら、唐突に始まった話にお菓子に伸ばす手を留めた。あんまり一杯取ったせいか、さっきからお茶やお菓子を持ってきてくれている高齢の女性が目元を拭っている。取り過ぎちゃったのかな…………。
「親父だ、親父。俺とお前の。ちなみに俺は大 嫌 い だ」
兄さんは一言一言区切ってそう言った。
「…………」
…………昔は好きだった。
年に数度しか帰ってこなかったけれど、父さんの話す海の外の向こうの国の話を聞くのは楽しかった。上達していく日本語だって、上手だと褒めてくれた。
でも。
「…………嫌い、です」
母さんは自分が「愛人」であることを最後まで知らなかった。きっとその方が幸せだった。敬虔なカトリック信者だった母さんはまさか自分が不貞という大罪の相手だなどとは夢にも見なかっただろう。現に父さんは母さんと教会で式まで挙げてみせたらしい。けれど外国人である父さんは英国で結婚しても日本で経歴に載ることは無かったのだという。
「…………母さんのことを騙した。僕を捨てた。…………お金だって約束してたけど、送ってくれなくて。ご飯も食べられなかった」
最後の方が震えた。ポトポトと涙がテーブルの上に落ちる。
父さんと母さんと僕の事は直ぐ村に広まった。カトリック信者が九割を占める小さな田舎の村だ。不貞という「罪の子」に対する風当たりは優しくなかった。
勿論お前の母さんは潔白だ、知らなかったのだから――――――そう言ってくれる人もいたけれど。
「あー…………悪ぃが、金を止めたのは母上だ。まさかお前への生活費の送金だとは最初知らなくて。会社の金を使途不明で海外に送ってたから、…………だからこそお前の事知ったんだけどな。生活費だって知ってたら止めなかったんだが…………」
兄さんはポンポンと僕の頭を軽く撫でて、机の上にあったお菓子を僕の方へ押し出した。
「俺も母上も、隠し子がいたなんて知らなかったんだ」
「…………お母さん、怒ってました?」
「怒ってた。今でも怒ってる。クソ男にな」
「…………え?」
クソ男? 僕?
顔に出たのか、
「馬鹿かお前。親父に決まってんだろ。他所の女騙して孕ませた上に自分の子供見捨てやがったんだ」
「…………」
「…………あぁ、そうか。お前…………」
漸く気付いた、そんな顔で兄さんは。
「俺も母上も、此処の人間は誰もお前やお前の母上が悪いなんて思ってねぇ。心配すんな。悪いのはクソ親父だ。…………あんなのでも身内だからな。身内の息子なら身内、母上がお前に対して責任を果たしたいってお前を呼んだんだ」
「責、任?」
兄さんのお母さんが僕に対する責任? なんだろうそれ、そんなもの何もない筈なのに。
「自分でケツも拭えねぇクソ男にお前の親なんてやらせられない。母上はお前を引き取って育てるつもりだ。まぁ最もお前が受け入れるなら、だがな」
「…………でもそんな、迷惑掛けられません。だって父さんとのことは兄さんのお母さんには関係ない…………」
「無くねぇんだよこれが。離婚したって母上とクソ男が従姉弟同士なのは変わらねぇからな」
「え…………」
「あんまりクズ過ぎたから神田の名前背負わして独り立ちさせられないって、男の兄弟が居なかった母上が監視を兼ねて婿に貰ったんだ。予想通りクソだがな」
…………先程から兄さんは父さんに対して辛辣だ。
「お前は多分年に数度しか会ってなかったんだろう? 年に数度ならいい顔もする。毎日見ててみろ、殺意が沸くぜ」
「そ、そうなんですか…………」
僕らの父さんって何なんだろう…………。
「あー。ムカついてるなら後で見に行くか? ちょっと溜飲下がるぞ」
「な、何を?」
「クソ男。今母上が絞めてる。潰れた蛙みたいになっててちょと面白かったぞ」
…………。
背景、天国の母さん。
僕は何だか凄い所に来てしまったようです…………。