悪い夢のような夜から一日。
 盛られた弛緩剤とやらの効果は抜けきれず、ベッドの上で一日過ごした俺は身支度を整えて王城に戻った。殆ど戻ってこない物置小屋同然だった部屋なのに、隊服の替えを一つ置いてあったのは幸いだった。勿論王城内にある自分の部屋には幾つか用意はあるが、それにしても仕事で出ていったのに私服で戻ってきたら首を捻る奴だって居るだろう。詳しい事を突っ込まれるのも嫌だった。
 無断欠勤を責められるかと思ったがどうやら俺は元々休日の扱いだったらしい。…………用意周到な事だと、冷えきった心のどこかで考える。
 部屋に戻り、親衛隊で使われる書類の中から未記入の物を一枚取り出す。何れだしてやろうと思って貰ってきてあった奴だ。
 離隊届、と大きめの字で書かれた書類をざっと見下ろして必要事項を確認する。幸い、特に問題なく今すぐ記入できものが殆どだ。一番下の、恐らく一番肝心な一箇所については見えない振りをする。どうせ向こうだって俺が離れることを望んでるんだろうから、事後承諾で問題無いだろう。仮に望まなかったとしたら、まだ甚振り足りないという事だろう。
 ぞっとしない話だ。そもそも空欄でも、年金の受給資格になる名誉除隊扱いにならないだけだ。どうせ俺の在隊期間じゃ支給要件を満たしていない訳だから、どうでもいい。勿論これからの人生において、名誉除隊扱いの方が有利なのは事実だが多分そんな事を知っているだろうアイツが素直に首を縦に振るとは思えなかった。下手すれば不敬罪やら何やら持ちだされて隊法会議に掛けられて不名誉除隊にされるかも知れない。
 一番下以外全てを記入し終えた用紙を持って部屋を出る。途中、他の王族の警邏に当たっているらしい他の隊員とすれ違った。不審そうな目だが、俺は生憎と非番扱いなので構いはしない。
 親衛隊の本部に入ると、内勤なのか休憩中なのか、それぞれのデスクに居た他の王族付きの隊員から好奇の視線を向けられる。それら全てを無視して、一番奥の体調席を見る。…………マリは不在だ。今は仕事中なんだろう。
 仕方なしにその左隣のデスクに向かう。

「副長」
「…………うん? あぁ、神田か」

 どうした、と答える相手は王太子付きの副隊長席。

「受理して下さい。体長が不在なので」

 そう言いながら記入済みの離隊届を差し出す。俺が出した用紙を受け取らずに中身を見た副長は、眉根を寄せた。

「癇癪を起こすのは感心しないぞ」
「…………」

 違ぇよ。癇癪起こしたのは俺じゃない。向こうだ。

「しかもアレン殿下のサインが無いじゃないか」
「無くても受理して貰えますよね」
「出来ないことはないが、名誉除隊扱いにならないんだが」
「構いません」

 付いている王族の同意のサインが無いということは、仕えるべき主君に一方的に三行半を突きつけるようなもの。不躾の極みであり、可能である限り避けるべき――――――という説明は入隊時に受けた。

「元々お前は陸軍希望だったな。名誉除隊じゃないと幹部候補として入るのは難しくなるぞ」
「知ってます。構いません。ノンキャリアの新人で受験しますから」
「…………まぁ、アレン殿下も難しい御方ではある。お前が一人で孤軍奮闘しているのも、俺も隊長も分かっていた」
「そうですか。所で、別に待遇への不満が原因で辞める訳ではないので。勿論不満でしたけど。人員増加してもらった所で辞めます。引き継ぎも最短期間でお願いします」
「…………」

 俺が呼吸も入れずに一息で伝えると、副長の顔が引き攣った。
 不満に決まってんだろ、三交代が普通の仕事なのに俺だけ一人の所為で仕事時間が一日二十時間超えてたんだぞ。労働基準法が来い。幾ら特殊な職だからってこれはない。

「もう、限界です」
「…………。俺が受け取る事は出来ない。もうじき隊長が戻るから、それまで待て」
「…………」

 黙って踵を返して自分のデスクに戻る。元々殆ど何もないが、直ぐに持って出れるように中身を一箇所に纏める作業を始めた。そんな俺に、周囲からは密やかな囁き声が聞こえる。

『あれじゃないか、ほら…………殿下の正妃候補の話』
『断ったという話だが、案外…………』

 んな訳ねーだろバーカ!
 誰が好き好んでこれ以上アイツに関わるような真似するか!!
 荷物は直ぐに纏め終わり、デスクに視線を落とす。…………。何だったんだ。俺の数カ月。
 椅子に掛けようとした瞬間、鋭く痛みが走って一瞬息を呑んだ。――――――くそっ。
 手持ち無沙汰だったから、適当にデスクの上に立てかけてある通達書の類を眺める。ふと視線を胸元に落とした時に、隊証が目に入った。付いている王族ごとに違うデザインで、親衛隊や近衛兵ならば見ただけで誰付きなのか理解できる。
 任命され、これを与えられた時の事を思い出した。不愉快で不満で、真っ直ぐに口を引き結んだ。アイツは、笑っていた。
 もう、必要ない。
 で、これってどうするんだ? 返還するのか? それとも貰って帰るもんか? いらねぇから家に帰った瞬間ゴミ箱行きだ。
 つか、部屋借り換えるか。アイツに部屋知られてるとか、どんな嫌がらせだ。
 …………早くマリの奴、戻ってこねぇもんか。今は陛下の護衛中か?








「隊長、交代です」
「あぁ、すまなかった」

 第十四王子居室前の前室。交代要員として来た、第三王子付きの親衛隊員に簡単な引き継ぎをする。引き継ぎながらも、脳裏に浮かぶのはこの部屋の向こう側にいる王子と、その本来の護衛のことだった。
 …………可哀想な事をした。
 いや、分かっていたことだ。
 今日、初めて丸一日を仕事に当てた。大の男である筈の自分が音を上げそうになったのだ。アレン殿下は神田以外の人間に護衛されることをずっと拒んでいたからとはいえ、あの新人といっても良い彼女にこんな重労働を…………。
 これは戻ったら何としても、殿下の新しい親衛隊を組まねばならない。陛下に奏上してもいいだろう。
 その神田は一昨日アレン殿下の同窓会のためと王城外に随行し、そのまま休暇に入った、そうだ。誰よりも変則的に休みを取る神田は、主君の気紛れ一つで突如休暇に入る。
 その為か、今日は護衛に着く事を連絡したら、一言で了承された。最も顔すら見られない、興味関心を感じさせない様子だったが。
 一見穏やかで人当たりが良い、と評を得る王の末王子は実際には中々難しいご気性だ。あくまで此方は仕える側の立場、主君筋を評価するような立場で無いのは分かっているのだが。
 本当の彼は、執着する物にはどこまでも執着し、興味のない物には徹底して無関心だ。今さっきまでの態度が全てを物語る。空気のように極自然に傍にいるというのは長時間傍にいなければならない護衛としては理想的だが、無視されるのはそれとは意味が大分違う。

「早く戻ってやって下さい、神田が待っていました」
「…………神田が?」

 彼女は今日も休暇の筈だ。
 だが、続いた相手の言葉に絶句する羽目になる。

「副長相手に辞表出してて、副長が大弱りでした。引き止めに応じそうな雰囲気でも無かったんで」
「…………何?」

 辞める。
 驚きと、納得と、困惑とでこれからの事を考えると頭痛がしそうだ。そもそもそれは、アレン殿下の許可は得ているのか。得ている訳が無い。絶対だ。
 対応に困って黙り込んでいると、不意にドアが開いた。廊下と此処とを繋ぐドアではなく、此処と、殿下の居室を繋ぐドアがだ。

「…………どういう事ですか?」

 その表情に、その声音に。

 彼と神田の間に起こったことを未だ知らぬ自分は、神田を恨めしく思う他無かった。



 他の親衛隊をガン無視って訳じゃなくて、とりあえずこれからどうしようか考えてた結果目と耳に入ってなかっただけで普通はそこまで酷くない。
 神田嬢がケロッとしてるように見えてるとしたら、それは単に現実逃避気味なだけ。子供の頃から傷つけられてばかりだったから、自分の痛みと傷に無関心で鈍感になってる。
 
 
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