おかしい。
先程から視界が揺れる。
これは酩酊した時に似ている。
近衛隊に入った頃から、時折非番の日にアルコールを口にする事はあった。隊の正式な晩餐にはワインがつきものであったし、元々それ程好きではなかったがまるきり飲めないのも問題だ、と周囲に諭されたからだ。
体質にもよるのだが、グラス一杯で意識を失ったり吐いたりする程でなければある程度は慣れだと言われた。仕方なしに宿舎や自宅の部屋で乾いたブラウンブレッドを安物の赤ワインで流し込んだりしている。
だが、どういう事だ。此処に来てからアルコールなど一滴も口にしていない筈だ。自分で受け取ったのは只のレモン水で、それと、
『心配しなくてもノンアルコールですよ。僕だってアルコールは嫌いですし』
――――――本当に?
いや、確かにあれはノンアルコールだった。酒の匂いはしなかった、ように思う。喉を焼きはしたが、酒で焼かれた時とは違う。こんな時ですら主君を疑いたくなる俺の忠誠心とやらは天晴な事だろう。
「どうしたんですか、先程からフラフラと。ワインでも飲みましたか?」
「っ、」
取り囲む人が途切れた一瞬、モヤシが振り向いて声を掛けてきた。見透かされた事に、思わず頬に熱が集まる。これまで、どんなに気に入らなくとも、どんなに納得がいかなくとも、少なくともモヤシの護衛として給料をもらって生きてる身としては仕事に手を抜くなんてことはありえなかった。うっかり、が許されない仕事だからこそ、何時だって万全を期して来た筈だ。
「仕事中にそんな状態になるなんて、珍しいですね」
俺の被害妄想でなければ幾分呆れが混ざったような声。違う、と反論しかけて、アルコールに手を伸ばしたか否かはさておき実際に今の俺が護衛として不適格なのは事実だ。どうする。王城に連絡をとって、他の親衛隊に来てもらうのか。だけど、誰に…………。
グラグラと揺れる頭で必死に考えを纏めようとする。と、溜息が一つと共に、
「出ます」
「え」
「君がそんな状態なら此処にはいられません。危なくて」
「…………」
瞬間、ぞわりとした、怒りとも、羞恥とも付かない感情が背中を這った。
「行きますよ。さて、歩けますか? それとも手をお貸ししましょうか、Lady?」
「…………っ」
それは屈辱でもあったかも知れない。幾ら女といえども、歳上、そして護る者としての矜持はあった。だが同時にそのご立派な矜持とやらは、主を危険に晒す可能性は潰すべきだと雄弁に訴える。
この後公務があるので、これで。そう主催者に伝えるモヤシの後ろ姿を睨む。せめて周囲にまで情けない護衛と侮られないように、崩れそうになる膝を叱咤して必死に背を伸ばした。何時もよりもゆっくりと歩いたモヤシの背を何とか追って、メインホールからウェイティングホールへ。支配人達に何か声を掛けたモヤシは預けたコートを受け取った。…………俺が前に出て、受け取らなければならないのは分かっていたのに、体が動かない。息も、少し苦しい。
ついにはまともに歩くことすら放棄した俺の腕を、見かけよらず力が強いモヤシが取った。無言で強く引かれ、半分引き摺られるような形になる。痣が残るかも、とどうでもいい事が思い浮かんだ。
小突かれるようにして、入口前に付けられていた馬車の中へ。シートの上に文字通り崩れ落ちる羽目になる。またしても引っ張りあげられ、シートに無理矢理座らされた。
「っ、は、」
これ以上モヤシの手など借りてなるものか、一応仮にも主君だというのに!
…………最早失態というレベルじゃねぇ。主人の予定を狂わすわ、その腕を借りるわ。これは降格、減給、解任どれが来ても不思議じゃない。間違いなく始末書モノだ。解任なら喜ぶべきなんだろうが、こんな形で叶うのは不本意だ。
使い物にならない俺の代わりにモヤシが直々に御者に馬車を出すように命じる。王子直々の命令に緊張気味に御者は答え、そして馬車は動き始めた。そしてその間も役立たずな俺はシートの上に転がっていた。
だから気づかなかった。
馬車の行く先が、上品な界隈、王城のある方ではなく寧ろ真逆の方向へ向かっていることに。
いつの間にか、眠っていた。
だが、ドアが開いた気配にうっすらと意識が戻る。誰かに肩を貸された。誰だろう、城なら御者か、それとも近衛の誰かか。
どちらにしろ失態を晒すのは悔しかった。
決して、誰にも、平民の、女の、妾の子の癖になどと侮られてなるものか、そう生きてきた。そんな影口には能力を見せ付ければいいと。その、お前が馬鹿にする平民よりも女よりも妾の子よりも弱いお前は何なんだお貴族様? そう嗤って生きてきた。
生きる基盤全てを武に頼る俺は、そうするしかなかった。有能でなければ、親の後ろ盾も無い小娘は自分の思う通り生きて行く事は出来なかった。
体が投げ出される。背中に当たるベッドらしきものの感触は王城に控える際の官舎のベッドに比べて大分堅く、そして俺の体重にギシリと悲鳴を上げた。此処は何処だ。懲罰房か?
学校を卒業して最初、近衛に入った時に同輩だった貴族階級の男と大喧嘩して放り込まれて以来だ。その後あの男とは一応和解した。俺が親衛隊に移動になる直前何故か結婚を申し込まれたが丁重に断ったな。あれは何だったんだろう…………。
何て名前だったか。あぁ、確か、
『 』
そんな名前だった、気がする。だからどうという事もなかったが。懐かしい名前を呼んだ気がする。
「…………へぇ。それが君の相手の名前ですか」
返事など来ると思ってなかった。
返って来たのは、まるで氷のように冷たい、いっそ憎々しげな声。
「…………ぅ?」
目を開く。天井は雨染みの出来た木で、これは懲罰房のそれとは違う。あそこは強固な石造りだ。いや、それよりもこの天井は。
何で。
何で俺は今、自分の部屋にいるんだ?
いやそれより、どうして。
「お目覚めですか、お姫様」
どうして、こいつまで此処に居るんだ。
鬼畜様がアップを始めました(棒)
2011神田誕生日記念特設ページへ
小説頁へ