都より程々に離れたとある屋敷。
 そこは若主人達が間もなく戻ってくる為、準備に余念なく使用人達は忙しく働いておりました。

「旦那様、若様がお付きになられました…………! あの御方もご一緒です…………!」
「で、あろうな」

 特に先触れなどは来て居ません。迎える側に相当の支度の必要がある貴人の訪問としては異例でしょう。しかしながら屋敷の主人もその周りの者も、誰一人としてかの貴人がまともに「訪問」してくるとは思っておりませんでした。
 その考えは間違っておらず――――――

「ふぃー、疲れた。ただいまジジィ!」
「お久し振りです、旦那様」

 勝手知ったると入って来たのは主人の孫、そのあとに付き従うようにしてやって来た方が肝心の貴人――――――今上帝の孫の一人である宮様――――――なのですから、これが頭痛以外の何を覚えよというのでしょうか。

「ラビ…………、」
「ん? どしたんさジジィ?」
「旦那様?」

 …………寿命が縮む…………。

 屋敷の主人、ラビの祖父たる老翁は大きく溜息を付いたのでした。

 屋敷の中の一番良い部屋(しかしそれとて、尊い血を引く方を迎えるには格が足りないのですが)に通されたユウは荷物を置くなり早々にラビの部屋へ向かいました。かつて此処で使用人として働いていたユウにとって、案内などは不要なのです。部屋から勝手に出た時、そこに御用聞きの為に控えていた侍女達があわあわとしていましたがユウは不思議そうに首を傾げただけで、そのままラビの部屋へと向かって行きました。

「ラビ」
「あ、ユウ、荷物置いてきた?」
「あぁ」

 そこでは若主人であるラビの着替えを手伝いつつ、尊い方に何という事をさせているのだと説教をする乳母とラビがおりました。
 先導も控える人間も無しにやってきたユウに乳母は眼を見張ります。一方ユウの方は嘗ては此処の最下層の使用人、風呂焚きとして働いていた時分から考えれば若君の乳母といえば相当身分が上の使用人です。事実ユウには使用人時代、乳母と会話を交わした記憶はありません。ユウの方から軽く会釈します。
 そんなユウにその場に乳母は平伏し、頭を畳に擦りつけたのでした。

「な、何? どうしたんさ?」

 ラビは戸惑ったように言いますが、乳母の反応はおかしいものではありません。
 本来なら貴族ですらないただの平民である乳母如き、目通りすら叶わない筈の相手がその場にいて、あろうことか会釈までしたのですから。
 しかしながらそんな事は知らない――――――いえ、構ったことではない二人は顔を見合わせ、首を傾げたのでした。






 夕餉前の一時。
 ラビは祖父に呼ばれ、ユウの傍を離れておりました。
 屋敷中の人間の寿命を縮めるような事は止めろだの、かの宮様の身分を考えろなどと色々説教されておりますがラビの思考は夕餉の献立に向かっております。
 今日はラビが生まれた日。歳は年の初めに取りますが、それでも生まれた日を祝うのは貴族階級の慣習です。今宵はユウもいることですから、それなりに豪勢なものが出る事でしょう。
 説教を右から左へと聞き流していたラビのもとに、許しを得ずに襖を開いた侍女の悲鳴めいた声が聞こえてきました。何事、と視線を向けた二人の視線の先には、まるで物の怪か何かでも見たかのように青ざめた表情の侍女が一人。

「ラ、ラビ様…………旦那様…………?」
「どうした?」

 ガクガクと震える彼女が何度も頭を振ります。震える指で廊下の奥を指し示しているようでした。
 何事だろう、とラビと旦那様は廊下の奥を見回りに行きました。


 そして旦那様は、その場で開いた口が塞がらなくなりました。


 孫のラビが仕えている「筈」の貴人の中の貴人、今上帝の御孫様である筈の宮様が、そこらの貴族では身に纏う事すらを許されない禁色の、深紫の狩衣の裾を捲り上げて床磨きに精を出していたのですから。

「ユウ? 何してんの?」
「掃除だ。今日はずっと牛車に乗ってばかりだったから体が鈍る」

 自分の足で歩きたがったユウを神田家の侍従侍女一同が「お控え下さいませ宮様!」と慌てて止めたのは朝のことです。

「ユウ、歩いて行きたがって侍従の人に怒られてたもんね」

 周囲では屋敷の使用人達が震えています。中には肩を抱き合っているものすらおりました。
 彼らが止めるまでもなく(そもそも身分を考えればおいそれと声を掛けることすら許されない相手なのです)、勝手知ったるユウは勝手に掃除道具を出し勝手に掃除を始めたのでした。

「うーん…………流石にそれはどうかと…………」

 神田家の侍従達やユウの叔父上や、更にはお祖父様や伯父様がご覧になったら卒倒する事でしょう。

「? 何がだ?」
「ユウ、それユウのお祖父様がくれた狩衣でしょ? 汚れたら色々大変なんじゃないの?」

 色々、どころではありません。

「そうか…………じゃあ着替える。使用人の服って予備あるのか?」
「あると思うけど、そんなんじゃなくてせめて俺の奴着ようよ。いい加減うちのジジィが死にそうさ」
「?」

 心底不思議そうな顔をするユウの手を取り、ラビは部屋へと戻って行きました。







 夕餉の席にはラビとユウ、そして旦那様や屋敷のお身内。
 ユウはぼんやりと「偉い人が一杯いる」などと考えておりましたがそれは旦那様やお身内が言いたい事です。
 いつもなら旦那様が座る一番の上座には今はラビとユウが二人でいます。何故ならユウをそこに座らせた所でいつの間にか勝手に下座側のラビの方へ行ってしまうからです。ならば最初からそこに二人でいてくれたほうがまだ心臓に良い、と周囲が考えた結果でした。
 旦那様の心の臓はキリキリと痛んでいますがそれ以上に生きた心地がしていないのは北の対の屋に暮らす一位の翁様でした。
 嘗てユウが都に戻る際、ラビやその身内に対して罰を与える事は何であっても、誰に対してであっても許さない――――――強行にそう主張した為何とかお咎め無しでしたが、やった事を思えば本来であれば一族揃って連座で斬首モノです。
 周囲が酒肴に全く手がつかない中。

「ラビ、次は何を飲む?」
「じゃあそっちの濁り酒で」

 彼らの跡取りは、たった今貴人に酌をさせて酒盛りの真っ最中でした。
 一位の翁以下身内は旦那様に視線だけで必死に「止めさせろ!」と訴えるのですが、止めさせられるものならとうにそうしています。
 機嫌よく、それこそ鼻歌でも歌いそうな様子でラビがユウを引き寄せました。そのまま人目も憚らずにユウの顎に手を添えて(それは端から見れば顎を掴んで自分のほうを仰がせたようにも見えました)唇に口付けを一つ。

「ん…………、酔いそう、だ」
「ユウ飲んでないじゃん」

 酒の香りにクラリと目眩を覚えたユウはラビの胸に縋るようにして目を閉じます。
 そんなユウを大切な宝を抱くようにして抱えたラビがふと周囲に視線を向けると――――――

 そこは死屍累々、となっておりました。





<終>






 くたばった人数の内訳:心労で気絶4割・当てられて気絶3割・血圧が上がった3割。
 誕生日について思いを馳せたけどこの時代数え歳だからどうなんだろう誕生日とか祝ってたのかな・・・参考資料に貴族とかはちょっと祝ったみたいな事書いてあったんですがどんな祝い方か全く書いてないや。

 誕生日というより単に帰省しているだけである。反省している。