―――――――今夜は誰も帰ってこない、から。
 部屋に戻って、ベッドに潜り込んで。
 色々考えてからそのまま目を閉じて、気が付いたら翌朝だった。
 
 …………無駄に良く寝たな。

 それでも目覚めが良いとは言い難かったが。

「…………、」

 まずはとベッドから抜け出して、顔を洗う。
 髪をいつも通りに結い上げて、それから寝室に戻ってワードローブを開けた。
 一番下には此処に来たときに荷物を入れてきたスポーツバッグ。
 其れを引っ張り出して、此処に来たときに持ってきた荷物のみを入れていく。

 …………一枚、幾ら位すんだっけな、これ…………

 痛みと混乱に麻痺して逆に冷静な頭の一部分が、そんな事を考える。
 …………レンタル料でもリース料でも、まぁどっちも同じ意味だろうが…………支払う必要はあるだろう。
 この先何年掛かっても、だ。
 それが寝る前に考えた事だった。

 此処にいた数ヶ月。その間掛かった費用は、全て返す。
 勿論俺に一括で支払うような金は無い。分割で、と言って…………信じてもらえるかは、解らないけど。  

 荷物を纏め終えた俺は、ベッドの皺を伸ばした。
 …………汚して出て行くのはまずいしな。

 部屋を軽く整え、出て行く最後に俺は部屋を振り返った。
 …………一月半、過ごした場所だ。
 派手な内装を気に入っていた訳じゃないが、それでも愛着はあった。

「…………。」

 これ以上の感傷は無用だ。
 俺は後ろ手にドアを閉める。


 


 東館から北館を通り、あの人のいる筈の西館へ。

 …………ラビ達はそろそろ帰って来るんだろうか。
 …………朝飯、作っとくべきだったか。

 そんな、しょうがない事ばかりが思い浮かぶ。
  
 北館と西館を結ぶ通路のガラス窓越しに、あの人専用の車が見えた。…………あれがあるって事は、確実にまだ此処にいる。

 …………忙しい身の人だ、急ぐか…………。

 俺は知らず落ちていたペースを速めながら、足早に西館に向かった。










 西の館の二階の真ん中。
 一番デカい扉を前に、俺は呼吸を整えた。
 
  
 コンコン


「あ? 誰だ?」
「…………失礼します」
「お前か。何だ?」

 俺が部屋に入ると、帰ってきたばかりなのにもうだが、出かける前だったのかスーツを着た父上が、…………いや、この場合クロスさんってのが正しいのか?…………いた。

「…………何だ? 泊まりで合宿でもあんのか?」

 目敏く俺のスポーツバッグに目を留めて、怪訝そうな顔をする。
 
 …………この期に及んで尻込みしそうになる、自分の弱さを無理に押し殺して、

「…………すいません、時間は取りません。…………少しだけ、聞いて下さい」

 声が震える。




「俺、貴方の子供じゃないんです」




「………………………………。あ?」

 しばしの間を置いてから、返事が返ってきた。

「…………これ、弁護士のルベリエさんから頂いた資料です」
 
 俺は分厚い封筒を手渡す。

「…………。」

 ガサガサと音を立てながら、それを読む相手の顔は、見る見るうちに曇り、険しくなる。
 …………あれで解るんなら、それは凄い。

「…………。ルベリエが来たのか」
「はい。昨日の夕方に」
「それで、これを?」
「…………はい」

 凄い速さで全ての紙に目を通した父上は――――――また言った、間違えてばかりだ――――――、俺を凝視した。

「…………それで、お前はどうするつもりなんだ?」

 厳密に言うと、俺とスポーツバッグを凝視しているというのが正しいだろうが。

「…………出て行きます。お世話になりました。それから、すいませんでした。騙して。…………あの、此処にいた間、生活費も学費も馬鹿にならなかったとは思うんですが。…………踏み倒したりしませんから、少し待ってもらえませんか」

 …………これで却下されたら、消費者金融の世話にでもなるしかない。学校は直ぐにでも辞めて働くつもりだが、それでも一体何時まで掛かるだろう?

「…………。お前みたいなガキが、一人でやっていけるとでも?」
「いけます。出来なくてもやります。…………母だって、俺の歳に俺を抱えて一人で暮らしたんです。男の俺が出来ない訳が無い」

 母上の事を引き合いに出すのは、少し心が痛んだ。
 俺にとっては未だ母上は母上だが、この人からみりゃ裏切られてた訳なんだからな。
 
「…………。」
「本当に、すいませんでした。…………母共々、迷惑ばかり掛けて」
「…………待て、」
「住む所、決まったら直ぐに請求先とか連絡するんで…………」
「待て、と言っている」
「…………失礼します」

「待て!」

 
 ぐんっ


「!」

  
 腕を、強く掴まれた。

「…………どう言っても出て行くつもりか?」
「…………これ以上迷惑掛けられません」

 顔が、瞳が、近い。
 ――――――胸が、痛い。
 視線を合わせていられなくて、態と逸らす。

「…………ルベリエさんやアレンに聞きました。…………貴方の子を名乗る人間や、その母親は多かったと。…………大多数は、貴方とは縁の無い人間が、貴方からの養育費を目当てに来たのだと。…………俺も、」
「言うな、」
「俺も、やった事はそういった人間と同じで、」

 自分がこんなに汚らわしく見えたのは、初めてだった。

「言わなくていい!」

 
 強く、抱き締められる。

 
「…………放して下さい」

 また、

「放したらお前は此処から消えるんだろう?」
「――――――…………」


 また、勘違いしそうになる。


     
「失礼いたします。旦那様、間も無くお時間ですが…………」 



 ふと、ドアの外から声が聞こえた。
 そうだ、この人は忙しいんだ。
 これ以上俺のことで煩わせるわけにはいかない。

「…………放して下さい、…………時間だそうですよ」
「…………っ」

 歯噛みするような鋭い視線で父上はドアの外を睨んでから、


 俺の腕を引いて、ドアを蹴り開けた。

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