「…………一人で先走るな。用があるなら誰か連れて行け。お前一人の問題じゃねぇんだ」
「…………」

 クロスがそう言うと、今俺の隣に座っているユウは眼差しをそっと伏せた。
 わざわざ一人で隠れるように抜け出してきた――――――それは場合によっては家に帰ってこないつもりだったんじゃないか、って俺達は思っている。
 …………本当はユウがどう思ってるのかは、分からないんだけど。 

「それはそうと息子が邪魔してたな。…………久し振りだ」
「ええ、ええ…………お久し振りでございます、旦那様」

 …………目の前に居るじいさんにクロスが声を掛ける。
 昔いた執事だって言うけれど、俺が産まれる前には居なかった訳だから俺は知らない。ティキだけが、辛うじて覚えていると言っていた。

「まぁ懐かしむような事もねぇだろうが。…………遮っといてなんだが、続きは何だ」
「…………」

 さっき、俺達が入ってきたとき。
 丁度、その話になっていた。
 …………目の前のじいさんの顔は蒼い。

「あの時言った筈だがな。何があった、と。お前達は揃って何も知らない、そう言ったが」
「…………」
「何か知っているの分かっていた。…………話す気が無かったのもな」 
「…………」

 クロスの言葉には別段責めるような響きはない。

「…………もう二十年近く前の事だ。そろそろ話す気にはならんか」
「…………旦那様…………」

 …………その言葉に、再度深い溜息を吐いたじいさんは、静かに話し始めた。
 
「―――――――昔のことでございます。…………旦那様が、お屋敷に、大事なお客様を御泊めになった事がございました」
「…………」

 クロスは眉根を寄せて、空を睨んでいる。まるでそんな事があっただろうか、或いは、誰のことだったか、と考えているような顔だ。
 俺達は何故其処から始まるのか理解できずに――――――いや本当は分かっているんだけれど、理解したくなくて――――――大人しくそれを聞く。
 
「…………初夏の、雨降りの日でございました」

 ―――――――十九年も前の事の筈なのに、まるで忘れがたい事のように話す相手に、嫌な予感が止められない。
 
「夜、旦那様は社の方から緊急のご用事のご連絡を受け、お一人そちらへ向かわれ、お屋敷に残りましたのは私共使用人と、お客様と、―――――――私共は北の方様とお呼びしておりました、ユウ様のお母君様でございました」
「…………」

 ユウが、膝の上で握った拳を、尚きつく握った。
 …………睫毛が、微かに震えている。
 
 怖いんだ、ユウも。嫌な、予感がして。

「その夜、お客様がご夕食を終えた頃、ご同席ではなかった北の方様をたまたまお客様がお見掛けし、お酒のお酌を、と請われました」
「…………」

 アレンが、先程からしきりにユウを気にしている。
 …………握られた拳に、自分の掌を重ねて、まるで慰めるようにして撫でていた。

「勿論北の方様はお断りになられましたが―――――――しかしながら、…………旦那様とのお取引に障りがある、との事を暗に仄めかされ、仕方なくお客様の下へ、」

 ―――――――そして、静かに、彼は両目を掌で覆った。 

「―――――――翌朝私共が見たものは、荒らされたお部屋と、…………乱されたお姿の北の方様にございました」
「「「「―――――――っ」」」」

 …………ある意味、想像通りの結末に。
 全員が、息を呑んだ。

 隣から、はっきり分かるくらいの震えが伝わってくる。

 今の話から繋げれば、一つしかない。

「その後、旦那様はすぐに出張という事で海外の方へ―――――――北の方様のご懐妊が知れたのは、それから三月ほどだってからでございます」
 
 それは、つまり。
 …………つまり。

「…………使用人一同、旦那様に事情をお話し、…………お子様を諦めては、とお勧め致しました。しかしながら、北の方様は終ぞ首を振ることは無く―――――――ある朝、お姿を消され、そのまま、」 
「…………」   
「…………私の責任にございます。…………マリアンの血を継がぬお子を、旦那様の子として認める訳にはいかないと、声高に騒いだ私の責任にございます…………!」
「…………じゃあ、」

 ユウの声は、震えていた。
 誰もが気遣わしげに視線を向ける中、ユウは視線を落としたまま、続けた。

「俺の所為、なのか。―――――――俺が、そんな誰の子供か分からないような俺が出来たから、母上は父上の下にいられなくなって、」
「ユウ」

 クロスが諌めるような声で名前を呼ぶ。
 けれどユウの震えも、言葉も、止まらなかった。

「俺なんかが、出来たからっ…………!」

 言葉の最後がまるで、悲鳴のように。悲痛な響きを持って、消えた。 
 
  
   



「…………」

 全員でユウが乗ってきた方の車に同乗した。
 けれど帰りの車内は、沈黙が支配している。
 余りにも重過ぎる現実に誰一人声を発することは無く、そしてユウは―――――――まるで心此処にあらず、といった風情で、ぼんやりと流れる風景を見つめている。いや、見つめている、というのは間違ってるんだろう、きっと、ユウは今何も見ていない。

「…………、」
  
 隣に座ったアレンがいくら手を握っても、ユウは何一つ反応を示さない。
 …………そんな痛い沈黙の中、車は滑り込むようにして、家に着いた。 

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