ふぁ、と小さく欠伸を噛み殺した音が聞こえて隣に目をやった。
隣のラビは口元にだけは笑みを乗せているが、目にはあからさま迄な退屈を浮かべている。壁に凭れ掛からないだけまだ気を使ってるんだろう。タキシードに合わせて普段とは違った形、オールバックに撫で付けている前髪が一筋額に溢れていた。後で直させるか。
「こら、寝んなよ」
「こんなトコじゃ寝れねーさ」
隣に向かって言いながら、此方に浮き足立った眼差しを向けてくるご令嬢方に白々しく手を振る。遠目で良かった、気の無い表情を見られる事も無くて。
良くも悪くも目立つクロスは人垣の向こうだ。此処一年ばかりでこういった華やかな場所に姿を現す事が一気に減った――――――それは自宅に居る事が多くなった所為だ、また新しい美女を探す必要も無い――――――事を、色々と上品な言葉で詮索されているからだ。社交界といえども中身はゴシップ誌と変わらないな、と思わず苦笑する。
何時もだったら返事を返すことすら怠り招待状ごと無視するチャリティーパーティーだけど、主催が色々と繋がりがある相手らしくクロスは重い腰を上げて参加を決めた。いってらっしゃいと他人事の顔で手を降った俺とラビは首根っこを引っ掴まれ強制連行だ。ぱーてぃー? と呟いた神田とご飯、と瞳を輝かせたアレンは免除された。というより色々とアレなので連れてこれない、が正しいかもしれない。
クロスは法の上では結婚した事が無い。にも関わらず俺やラビの存在は広く知られている。アレンや、更に遅く家族になった神田の事についてはまちまちだった。
それは母親が共に社交界に出入りする立場だった俺達――――――そのお陰で色々とバレバレだ――――――と、そうではない二人の母親の身分差もあるのだろう。
特に神田なんて周囲に知られたらどうなるか。十分に分別が付き、未成年と言えども自活出来るような歳になってから迎えた「養子」だ。誰だって色々と下世話な妄想をするだろう。全てが間違いじゃない辺りが、また辛い。諸々納得の上で行動してきたクロスが今更どんな形で非難されようが知った事じゃないが、それが神田の耳に入ることだけは避けたかった。
なので此処にクロスが一人で行く、に次いでの次善の策として連れて来られたのはまぁ仕方なしと思ってるけど。
通りがかったウェイターから赤ワインを受け取る。ついでに隣のラビの為にも取ってやった。オレンジジュースだ。渡すと不満気な視線が飛んで来たが、こういった席で誹られるような事は慎んで貰うしか無い。後々面倒だ。クロスでもラビでも無く、傍に居たのに止めなかったと言われる俺が。
「早く帰りてーさ…………」
ラビのボヤキに全面同意。
チャリティーを謳うパーティーの、ありがちな内容には全く興味が沸かなかった。チャリティーなんざしたいなら信用できる団体の口座に金を振り込むほうが早いだろう。金持ち達が着飾る為の会に掛ける金自体が無駄だ。先程まで美声を披露していた歌手も、慣れた手でワインをサーブするソムリエ達も確かに一流ではあったのだろうけれど。
「帰ってユウの焼きおにぎりのお茶漬け食べたい」
「お前な…………」
それは出かける直前神田とラビが交わしていた約束だ。どうせマナーだなんだで碌に食べることも許されない(しかし目の前の料理台にはまだたっぷりと料理が残っている、時間の経過と共に下げられ取り替えられているが果たしてあれらはどうなるのか)と訴えるラビに神田が夜食を作ってやるからと言っていた。
あぁでも確かにアレは食べたい。意外と手間が掛かるらしく、アレンという大食漢がいる普段の夕食にはまず並ばない。時折遅くに帰った時に出されるアレ。
俺も作ってもらうか。
相変わらず人垣まみれのクロスの近くにはその挙動で妙に目立つ女が一人。そう若くは見えない、そして美女という訳でもなさそうだ。普通だったらクロスに相手にされるとすら考えられない類の女。
「…………離婚歴有り。一刻も早く経済的に恵まれている相手と再婚したいと考えてる。慰謝料がとれてない事から察するに、多分自身が有責」
「何、何処見てんのお前」
「左手の薬指の根本が黒ずんでるから長い間キツイ指輪付けてたんだろ。なのにこういう場所で外して来てるってことは離婚してるって事なんじゃねぇ? まさか仮にもこういう所に出入り出来る立場だった女が浮気相手探ししてる訳じゃないだろうし。金に困ってんのはドレスがどう見ても既婚者が着るモノだけど今の最新じゃないから。ついでに靴も元値の割に手入れが行き届いてなくてボロかったし。安物でもいいから綺麗な方がイメージ良いのに」
「…………ホームズごっこか?」
「べっつにー、暇つぶしさ」
この距離で良く指の付け根や靴なんて見えるもんだ。真似したら見えるかと思いきや「此処から見える訳ねーさ、さっきすれ違った時」と冷めた台詞が向けられた。そりゃそうか。
「クロスも大概だからなぁ。訳有りでもイケるって踏んだのか?」
未だに法の上では独身なのに四人の子持ち。その所業は普通ならお上品なコミュニティから疎外されるだろう。されないのは当人が上手く立ちまわってるのと、その財は今ここに居る誰よりも豊かな所為だろうか。
どことなく胸焼けじみた物を感じながら必死な女を眺めやる。
「どうよ。アレ」
「アレがクロスの嫁になったらって?」
ラビが文字通り鼻で笑った。
「そしたらユウと一緒に家出てどっかの一軒家で暮らそっと。小さくていいから」
「おい待て誰が神田連れてって良いっつったよ」
「ユウは畳のが好きらしいから和風の家で、金魚飼うんさ」
「話聞けよオイ」
うっとりと自分の妄想を語るラビの肩を掴んで揺さぶってやった。途端顔を顰めて振り払おうとするラビにわざとらしく低くした声で言った。
「独り占めなんかさせねぇっての。俺とアレンで地獄の果てまで追ってやるからな」
「えーいいじゃん妄想位自由にさせてよ」
「ダメ」
妄想だろうが何だろうが許すもんか。
この話題の前提条件をクロスに話して聞かせたらまずその時点で妄想だと殴られそうなもんだけど。
あーあ。早く終わんねぇかな。
そんな事を考えながら再度こみ上げてきた欠伸を噛み殺した。
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守られてる次男と末っ子、守ってる長男と三男。
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