「最近じゃ珍しいわよね、社長の長期休暇って」
「そうねぇ」
此処秘書室では最近総務課から異動して来たまだ若い二人が密やかなお喋りに興じている。ちらりとそちらに視線をやって、また戻した。今社長は重役達と会議中だ。急ぎの仕事も来客の予定も無い。あれこれ目くじらを立ててこれだからお局様はと疎まれても面倒だし。それに彼女達の話題も最もではあった。
「新しい女性が出来たのかしら?」
「けれどまだ此処には連れてきて無いわよね」
「出張」ではなく「休暇」で長い期間会社を空ける事は、最近の社長には珍しかった。何故なら彼の休暇とは即ち彼を取り巻く華かなお相手の女性達との旅行の為にのみ費やされる。お相手の女性達というのは俗っぽい言い方をすれば愛人、もしくはコールガールの類。容姿のみで世間を渡っていく彼女達は何時だって女としての輝きとプライドに満ちていて、花型部署とはいえど只の会社勤めの身には眩し過ぎた。やっかみだと嘲笑われるのを覚悟で言わせて頂くならば、その付き合いが順調な内はあたかもこの会社の女主人のように振る舞うのには、大概辟易させられる。
わざわざ他社から桁一つ違う年収で引きぬいてくれたのだから感謝はしているし、その先を読む能力と勝負運には感服している。倒産しかけていた親から継いだ会社を立て直したばかりか巨大なグループ企業にまでしたのだから才能は確かだろう。けれど傍で働き始めて間もなく十五年。公私混同という言葉がこれ程しっくり来る人はいないと社長その人の人間性――――――というより女癖には、全く感心出来なかった。寧ろアレは正しく女の敵だとすら思う。
十五年の間に果たして幾度濡れ場に遭遇し、更には修羅場に巻き込まれたことか。ナイフを持って社長室に乗り込んでくる女性から社長を庇う事は、三度目の襲撃で諦めた。だってどうせあの人は女の細腕どうにかできる人じゃなかったから。私が当初からけして美人でもなく最近では胸よりもお腹が目立つ、今ではもう五十近い年増である事は幸運だった。間違っても「新しい相手」だとは思われない。社長が愛人にする女性はこぞって気位の高い美人だったから余計に明らかに女として「下」である私の事など眼中に入れない。勿論幸いだ。
ホテルやら何やら、デートの為の予約をさせられるわ贈り物として、時に手切れ金代わりとしてジュエリー(そう、腹ただしい事にそれらはアクセサリーではなくジュエリーだ、それも一流店の!)を何度買いに行かされたことか。因みに腹いせにそういう時には見た目の美しいものではなく換金する時に高値が付くようにプラチナの地金のずっしりとした物を選ぶようにしている。しかも相手によっては私が直接渡している。私が、だ。せめて最後位顔を合わせればいいものを。そして一度くらい刺されてしまえばいいんだわ。
けれど、最近はそんな事も無くなった。
社長の女癖に於ける唯一の美点は自分で蒔いた種なら「一応」責任を取る所だ。そこが女を孕ま…………あら品が無いわね、妊娠させて逃げるような普通のクズ男とは違う。最も子供は寝床と食事と教師を与えておけば勝手に育つと勘違いしていた人だからその責任の取り方は実に片手落ちだったけれど。
それでも末の坊ちゃんを引き取った頃にはその坊ちゃんが事故に遭ったばかりだったからか、頻繁に見舞いに行くなどして多少は親の自覚らしき物が芽生えてはいたようだったけれど上のお二人の時は本当に酷かった。熱を出して寝込んでいる息子を放って置いてデートに出かけたと聞いた時は四十分くらい掛けて説教したものだ。あれは今でも秘書室の中で語り継がれているらしい。いい加減辞めてほしい、世の中には若気の至りってのもあるのよ。今だったら説教なんてしない、笑顔で淹れたてのお茶をぶっかける。
まぁそれはともかくだ。
PCの画面を切り替えて社員からの社長宛のメールにざっと目を通し、直ぐに決裁が必要が否かを判断する。15件のメールの内、急ぎの物は4件だ。プリントアウトすると同時に社長のPCへの転送をかけておく。どちらで確認するかは社長次第だ。何れも既に関連する書類はこちらに届けられていた。
決裁を願い出る前にと中身を再度確認している最中、ぴたりと若い二人の囀る様な声が止まった。直ぐに足音が奥のほうにあるこちらまで聞こえてくる。
どうやら社長が戻ってきたらしい。プリンターが印刷し終わった紙を持って、よいしょと小さく呟いて立ち上がった。
会議の結果である采配を頂いてからこちらから先程の書類を手渡す。文章を読み進めるスピードは恐ろしく速い。彼なりに休暇を得る為に必死なんだろう。十日というのはけして短くない。
社長の机の前で次の指示を待ちながら様子を伺っていると。
「ところで」
「はい」
書類から目を離した社長がこちらを見た。…………相変わらず、眼福といえるような男前だ。最も見る以上はお断りしたいところだけど。
指示かと素早く手帳とペンを構えると、ひらりと手を振られた。いい、とでも言いたそうなその仕草に、取り出した手帳とペンとをポケットにしまいなおす。
「お前の上の息子は俺のと同じ位だったか。大学生か?」
何のことはない、世間話のような内容だった。傍近くで働き出して長いので、たまにはそう言った会話もする。因みに社員からの社長の人当たりについては評価は真っ向から分かれる。「とても良く紳士的」か「カリスマ性があり尊敬もしているが、怖いので極力近寄りたくない」か。前者は女性社員、後者は男性社員の大半である。理由は推して知るべし、というか明確だ。フェミニストといえば聞こえはいいがその実男性に興味がないだけだろう。
「はい。ご次男様三男様と同学年です」
私の上の息子は今年の春から私立医大に通っている。下の息子も同じく医療を志しているようだけれど、どちらにせよ夫がいない私が学費が高い私立の大学に子供を通わせられるのはひとえに此処での待遇のお陰だ。
「ふむ…………」
社長は何か考えこむような顔をした。迅速果断なこの方にしては珍しい。
「誕生日は何時だ」
「、は、私の息子のでしたら四月でしたが…………」
いまいち社長の言いたい所が理解出来ない。私や私の家族のプライベートに興味を示すような方では無いから、ご存知なのは家族構成と大体の年齢位の物だろう。社長の表情から何かを読み取ろうと努力するけれどそれも上手く行かずに胸の中で舌打ちする。
「誕生日には何をやった」
「…………、物を欲しがる子ではないので、外に食事をしに行きましたね」
どうやらこの返事は当てにならなかったらしく、社長は微かに渋面を作った。
答えてから考える。社長のご子息は四人。内三人はかなり昔から社長の手元で養育され、しかし良く彼らの誕生日を忘れる社長の代わりに何度かバースデーケーキとプレゼントの手配をしたから誕生日も覚えている。ということは。
「ご次男様のお誕生日ですか。おめでとうございます」
残念な事にまだお目にかかったことがない次男様。一度来社した事があるそうで、その時たまたま席を外していた私は後で秘書室で囁かれた言葉の数々にその場に居られなかったことを残念に思ったものだ。お顔を存じている三人のご子息様方も何れも所謂「美形」の範疇に入る方々(但し社長には何方も似ていない)だけれど、そのご次男様は「溜息が出るくらい美しく」「お母様もさぞや美女なのだと簡単に想像が付く」らしいから何れはお目にかかりたいものだ。
「まだ早い。五日後の話だ」
五日。じゃあ、十日間の休暇とはその為に取ったのだろうか。珍しい、本当に珍しい。きっと明日は雪が降る。初夏だけど。
こういっては何だけど、ご子息様の誕生日を祝うような方じゃなかった。大して興味も無かっただろう。その時気に入っている愛人の誕生日なら相手の望むままに華やかに、豪華に祝っていただろうけれど。
それはともかく、社長のご子息様の欲しがる様な物、などまるで予想もつかない。何せこの方と来たら子供達に物と金だけは潤沢に与えるのだ。何でもかんでも、欲しいと言われれば思えば容易く買い与える。今の年頃なら既に言う必要も無く、勝手に買っている事だろう。子供に必要なのは「それ」ではない、と何度説いても理解して貰えなかった。社長自身も家族と縁の薄い子供時代を過ごした様だから、根本的に考え方が違うのだろうか。言わせて頂ければ金と物だけ潤沢に与えられて愛情を知らずに育った子供など、どんな大人になるのか考えるだけで空恐ろしい。
しかしまぁ、と頬に手をやって考えた。わざわざ誕生日に休みを取ってまで祝おうと考えている位目をかけているならば物など既に充分与えているだろう。喜ばれる物…………購入に躊躇してしまう程高価な物、だろうか。高級時計とか車とか。
とりあえずそのまま口にしてみると、
「時計は持ってる。車は…………無いな。ティキの前例もある事だ」
以前に高級車一台、納車後数日で単独事故により廃車にしたご長男様こと専務の件を口にした。
「さようでございますわね…………」
「いっそ運転手付きの車でも与えるか」
さらりと一般庶民から見ればとんでもない事を口にした社長は下がれ、と身振りで示した。
そして休暇明け。秘書室への土産だと渡されたのは数カ国に渡る国のお菓子で、一体この方々何処で何をして誕生日祝いをしたのかしら…………と首を傾げる事になった。