「そういえば…………」
家の台所。
ラビとモヤシにサラダ用の野菜を洗わせていた俺は(そろそろこいつらの分もエプロンを買うべきか)、ふと思い出してシチューをかき回す手を止めた。
「ちょっと父上の所行って来る」
…………忘れないうちに、早い所記名と捺印貰った方が良さそうだ。
「あ、うん分かった」
「いってらっしゃい、神田」
二人はやたら真面目な顔でレタスを一枚一枚丁寧に洗っている。
…………適当でもいいのに。
「ラビ、モヤシがつまみ食いしないか見張ってくれ」
「了解!」
俺はエプロンを脱いで椅子に掛けると、ダイニングに向かいそこに置いたままの鞄を探った。
「よし」
父上の居場所は多分西館。行った事はないが流石に迷いはしないだろう。
…………どっちから行くか?
まぁ北を通るか南を通るかの違いでしかない。
取り敢えずは、と南を通ることに決める。
そして俺は一人、西館へと向かった。
…………、流石にこっちは一層派手だな。
初めて入った西館は、俺達の住んでいる東館を更に豪華にして広げたような所だった。
俺達のいる東とは違い、部屋は一室しかないらしい。
廊下はいくつかの絵画が掛けられている。
延々と続く廊下の中程で目の前に現れたその扉を思わず見上げた。
重厚な、黒光りする、多分黒壇製のドアだ。何やら細かい模様が彫り上げられている。ドアノブまで凝った意匠なのは、此処まで行くと趣味なんだろうか。父上の。
コンコン
軽くノックする。
――――――返事は無い。
…………聞こえてないのか、いないのか。
コンコン
再度ノックする。
「…………いないのか?」
「…………、…………っ! …………!!」
…………声?
声が、聞こえる。人の気配が突如濃くなった。
…………聞こえてないだけか?
しかし、会話しているような感じでもない。
どちらかといえば、まるで苦しんでいるかのような…………
…………まさか、具合でも悪いのか…………?
俺は意を決して、そのドアノブを思いっきり引いて――――――そして凍り付いた。
その部屋の、入り口から一番遠い窓側。
そこにある机の向こうの椅子の上。
こちらに背を向けた形で、父上は座っていた。
――――――恐らくは、誰かを、膝の上に乗せた格好で。
…………そしてその「誰か」とは、全裸の金髪の女だった―――――――!
余りの事に凍り付いて動けない俺は、髪を振り乱して何やら声を上げている女と父上の肩越しに不意に目が合い――――――
「しっ…………失礼しましたっ!!!」
慌ててドアを閉めて、その場から走り出した。
「…………あ?」
事を終えた俺は、気だるく無気力な感覚ながらも相手を縋りつかせたままにさせておいた。
その女の笑い混じりの言葉に思わず眉根を寄せる。
「気付いてなかったの? 貴方にしては珍しいのね。…………黒い髪の、綺麗な顔の女の子。貴方の娘さんかしら? 或いは随分若いようだったけれど囲ってる愛人?」
そんな相手がいるなら、自分を呼んで大丈夫なのかと。
笑いながら、そう嘯く。
「…………娘はいない。囲ってる女もな」
「あら…………じゃ、あの子もしかしたら男の子だったのかしら? 良く分からなかったけど…………可愛らしいわね、真っ赤になって逃げて行ったわよ」
身体を離した女が、脱ぎ落とした服を身に着けていく。
…………紫煙を吐き出しながら考えようにも、見当が付かない。
「…………今日の礼だ」
机の引き出しから封筒を取り出して、相手に渡す。
「あら、ありがと。…………随分弾んでくれるのね」
「良い時間を過ごせたからな」
「上手いわね」
艶やかに微笑んで、出て行く女の後姿を見送って――――――そして部屋の外、足元に何やら落ちていたことに俺はようやく気付いた。
「…………ん? これは…………」
学校編入の、保護者用の承諾書だ。
転入生徒名は、――――――「神田ユウ」。
「…………ふん」
引取って間も無い息子の事だ。
アレが来て直ぐに忙しくなった為、まともに会話していない。ティエドールが連れて来たその夜に顔を合わせただけだ。
…………他のガキ共は来客中にはこの西館には近付かない。
と、いう事は――――――
「覗きに来たのは、あいつか」
――――――で、驚いて書類を取り落としていった、と。
しかし、凡そ「可愛らしい」という表現は当てはまらないような容姿だった気がしたが…………
溜息を付いてから俺はその紙を広い机に戻り、保護者欄に記名し押印した。
「…………さて、ガキ共の面でも拝みに行くか…………」
面倒だが、コレを出さん事には学校の手続きも終わらない。
その紙を引っ掴んで、俺は部屋から出、東館に向かった。