何時もよりも少し早く、目が覚めた。
 瞬間的に道場を最初に開く当番なのでは、と考えたが違う。今日は朝の修練に参加しない予定だ。
 まだ薄暗い中、体を起こす。衣紋掛けに掛けてある、昨日の夜アイロンを当てた制服とシャツを見やった。…………思えば勿体無い話だ、折角特注で誂えたのにこれを着るのは今日が最後だとは。
 布団から身を起こし、障子とガラス戸を開け放つ。啓蟄が近いとはいえまだこの時間は寒い。換気は早々に切り上げて、布団の傍に戻った。
 枕元に置いてある携帯がチカチカと光って着信を告げている。…………何だ?
 最近漸く使い慣れたメール画面をざっと眺める。受信したのは深夜、寧ろ日付が今日に変わってから。送り主はラビだ。今日、最寄り駅で待ち合わせたい、と。

「…………」

 何やら複雑な念を覚えつつ、返信しようとしてやめた。まだ早い。宵っ張りの奴が起きているとはとても思えない時間だ。後でにするか。
 集合時間は10時と普段の朝のHRの開始よりも余程遅いが、生憎と此方は朝から用事が山積みだ。その合間を見て返信…………忘れないようにするのに一苦労だろうか。
 メールを眺めて暫くつらつらと考えている内に思ったより時間が過ぎているのに気付いて、急いで支度を始めた。









 朝来た返事通りの時間に、ユウは居た。俺は駅のカフェで朝飯だったから、もっと早くから着てたけど。
 ひらひら手を振ると直ぐに気付いてやってくる。

「おはよー。良く間に合ったさねー」
「おはよう。何とかな」

 昨日から聞いてたユウの今朝の予定は中々にハードだ。
 朝も早くから正装して一門の門下生や何やらからの卒業のお祝いを受けて、朝食。それから制服に着替えてお爺さんお婆さんと一緒に写真屋に行って記念写真を撮ってきたらしい。…………写真屋で写真だなんて、撮った事ねーさ…………
 行くか、と声をかけられて腰を上げた。ユウは準備万端だ。制服やシャツ、ネクタイには皺一つ無いし、髪だって櫛目を通してぴっちりと纏めてる。一方俺は特に何もしてない何時も通りだから、ユウと並ぶと若干だらしなく見える。別にいーけど。

「卒業式、お爺さん達来んの?」
「あぁ。両親は来れないしな…………お前の所は」
「俺んちそーいうの来た事ないさぁ」

 というか日程把握してない、絶対に。
 何せ俺は幼稚園の入園式からしてナニーに手を引かれて行ったクチさ。別段そのことに関して何の感傷も無い。
 ふぅん、と小さく呟いたユウは視線を俺から前に移した。

「あー、そうそう。夜、アレン達が何か奢ってくれるって。ユウ予定空いてる?」

 卒業式の後には謝恩会があるし、まぁその後には当然二次会的なものがあるだろう。
 が、余りにもクラスにいた時間が短いユウと浮いてる俺には謝恩会はまだしも二次会に出るつもりは元々無い。

「…………補導されない程度の時間ならな」
「最後の最後でやらかすなんてヤだよなぁ…………」







 ちら、と視線をやった先のラビの表情は眠たげだった。
 リハ中も散々だったが、本番もかお前…………。
 こんな日くらい早く寝ればよかったんだ。
 校長の有難いらしい話も来賓の祝辞も電報の披露も眠くなる事この上無いと分かってたんだからな。
 今檀上で恐らく毎年同じことを話してるんだろう校長には、先程式が始まる前に少し話をする機会があった。
 これで面倒なのが一人居なくなる、と露骨な安堵を浮かべた相手に、まぁ、厄介事を持ち込んだのは此方だからと微かに覚えた感覚を飲み込んだ。どうせ顔を合わせるのも今日が最後だ。立つ鳥、後を濁さずという格言もある。
 同様に話しかけられていたラビはまるで聞いてない顔で心底適当な相槌を打っていた。お前そんなに校長のこと嫌いか?
 揺れている赤い頭が視界の端を横切っている。

 …………別に、惜しいなどと考えているわけでは無い、が。

 英会話が一定レベルに達したと判断された俺は、当初の予定よりも早く渡米する事になった。
 秋の入学シーズンまでの間、両親と共に暮らす事になる。俺がそれを聞いたのは僅か三日前だ。既に確定事項として伝えられたそれに、一瞬息が止まった。
 まぁ、どうせ、俺の隣の奴もすぐに渡米するらしいから――――――結局奴の進学先は知らない、でもきっとレベルの高い所に行くんだろう――――――同じだ。 …………同じ? 何がだ?

 分からないし、考えない。考えたってどうせ無意味。
 此処で終わり、これで終わり、だ。
 この日まで乗り切った事を今は素直に喜ぶべきだろう。
 近付いてきた順番に、意識を切り替えて再び前を見据えた。







 式典を終えて、教室に戻る。
 最後のHRでのコムイの言葉には、一部の涙腺の弱いクラスメイト達が目を潤ませる姿まで見られた。何処ぞの校長にも見習わせたい所さ。

「君らの幸福を、願っているよ」

 瞬間コムイと目が合う。肩を竦めて応えておいた。
 最後の挨拶をして、それからすぐに謝恩会の会場である近くのホテルに向かう為にばたばたと慌しく皆が席を立つ。
 中には既に抱き合って泣いたり、騒いだり、そんな姿もそこかしこに見えた。
 時間が迫ってくると教室から飛び出して階段を駆け下りていく。俺も一度、比較的話をするほうのクラスメイトと連れたって下に下りて――――――下級生が見送りの為に立ち並ぶ昇降口前まで来て気付いた。ユウが居ない。

「…………あれ?」

 置いてきちゃった?
 姿が見えないから、てっきり先に行ったとばかり…………

「ごめん、俺忘れ物した! 先行ってて!」

 周りにそう声を掛けて、急げよー、なんて言われたりして。
 教室に取って返すと、自分の机の前に普通に居た。最後の一人だ。

「ユウ?」
「ラビ」
「どしたの、忘れ物?」
「あぁ」

 ユウは卒業証書の入った筒を軽く持ち上げてみせた。…………それは忘れちゃ駄目な奴さぁ…………。
 思わず笑って、ふと気付いた。
 ユウは微かな、ほんの微かな笑みを口元に刻んでいた。けど、その眼差しは何故か寂しそうだ。
 それに驚いて、思わず目を見張ると一旦目を閉じたユウはすい、と視線を逸らした。

「…………短い間だったな」
「、」

 それが此処での学生生活の事なのか、それとももっと別の事を指しているのか分らなくて返す言葉に詰まる。

「なぁラビ、俺は――――――、」

 ふっ、とその先が消えて沈黙。
 先を待っているとユウは緩く頭を振って、

「何でもねぇ。行くか、もう時間ねぇだろ」

 気持ちを切り替えたみたいな口調でそういって俺の方、入り口の方に近寄ってきた。
 行くぞ、なんて言って隣を通りすぎようとしたユウの腕を、思わず強く掴んだ。

 100話で終わらせたい願望。




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