「二人共、少しいいかい?」
そう仰りながら、私達の師であるティエドール元帥は修練錠に姿を現した。
弟弟子との手合わせの手を休め、振り向くとそこにはいつも通りの元帥と…………その足元に小さな影が一つ。
おずおずと元帥の背に隠れながらこちらを盗み見るその少女は――――――否、まだ幼子、童女というべきか。三、四歳だろう、その幼子は見慣れぬ、恐らくは東洋の物であろう薄翠の装束を纏っていた。肩の辺りで切り揃えられた髪は極上の絹糸を漆黒に染めた様な艶やかな輝きで、同じ色の大きな瞳が不安と怯えと、そして僅かながらの好奇を映し出している。
恐らくはアジア人であるはずなのに色白く子供特有の丸みを帯びた頬は薄く紅を刷いたようで。
まさに、「愛らしい」との形容がこれ程合う幼子を、久方ぶりに見た。
「新しい私の弟子だ。二人とも、先輩として色々この子を見てあげて欲しいんだ」
新しい、弟子。ならばこの童女は適合者だという事だ。
名を名乗ろうと一足踏み出したところで、びくり、と童女が肩を震わせた。瞳の色に怯えをより強くして、師の裾を傍目にも判るほど強く掴む。
「、」
このような年の幼子を相手にした事が無いので、どう振舞っていいのか検討もつかない。
「初めまして」
近づけば怯えさせてしまう。そう判断し、立ち位置は変えずに視線を合わせその場から声を掛けた。
「…………?」
童女は不可思議そうに大きな瞳をより大きくし、師を見上げる。にこにこと微笑みながら見守っていた師が、聞き慣れぬ異郷の言葉で彼女に話しかけた。それに小さく頷いた彼女は小さく頷き、そして、
『はじめまして』
恐らくだが、異郷の言葉で彼女はそう言った、のだろう――――――
それが私達と、――――――神田ユウとの初めての出会いだった。
…………さて、神田がこの黒の教団本部に来てから、間も無く一月が経過しようとしている。
私も僅かながら「彼」について、理解してきたつもりだ。
…………最大の勘違いは、この幼子は「童女」ではなく「少年」であった事だろうか。
デイシャなど露骨にそれを残念がっていた。…………何故残念なのかは、今一つ判らなかったのだが。ただ、正直な事を言えば…………神田がこちらの言葉を理解していなくて良かった、とも思う。気付くまでの暫らくは、完全に女児として扱ってしまっていたからだ。
また年も七歳と予想よりも――――――と言っても、言葉こそ通じなくとも神田は身の回りのことは全て自分で出来ていたのだから全く予想できなかったわけでもないが――――――大きかった。
小柄であった故にそう思い込んでしまった訳だが、よく考えを巡らせばアジア人とは小柄な人種。先だって就任したリー室長も、実年齢よりも随分お若く見えるのだ、そういう事なのだろう。
『マリ』
ふと裾を引かれて視線を落とす。
神田が、紙に記された文を指して首を傾げていた。
「ふむ、どれ」
聞けば極東の小国である「日本」からやってきた神田が最初にすべき事は、戦闘訓練ではなく日常会話の会得だった。此処では会話はほぼ全て英語で行われる。勿論同郷同士であれば(とはいえ知る限り、神田の他に日本人はいない)母国語で会話することもあるし、日本語を解する言語学の専門家もいるにはいるが…………通常指令などは英語で伝えられるのだから、結局は英語で会話する能力は必須と言える。
そしてもう一つ、戦闘訓練の前にすべき事――――――
「正解だ、神田」
『おーけー?』
「ああ」
神田が腰掛ける足も付かない高い椅子。の後ろに立て掛けてある一振りの細身の剣。長く、そして先端を除けば真っ直ぐであり、何よりもその刀身が漆黒であることが目に付く。
名を「六幻」という神田のイノセンスだ。
神田はこの刀をとても大切にしているようで、入浴の時を除けばいかなる時も持ち歩いていた。背が低い神田の事だ、いつも引きずって歩く姿は微笑ましい。
微笑ましい、のだが。
一度神田がその六幻を振るえば、それは――――――悪夢だった。
切っ掛けはデイシャの戯れだった。
鍛錬をするには早すぎる、そう知りながらその六幻がイノセンスだと知って、興味本位で手合わせしようとした。勿論幼い神田相手に本気で掛かるつもりなど無かったし、自分とて、何ら問題がないと、そう信じて疑わなかった。
…………だが。
長すぎる刀を構えてデイシャと対峙した瞬間、その刀は白く輝き――――――そして神田の目は、あの年齢にして、歴戦のエクソシストにも勝るとも劣らない覇気を湛えていた。
いや、あれは覇気などと呼べる代物ではない。
正しく呼ぶなら、あれは―――――――狂気だ。
結果は、勝利に無邪気に喜ぶ神田と、…………呆然としたデイシャを前に途方に暮れる事になったのだが。
『マー君に頼みたいのは、勿論ユー君の日常生活のサポートとかもなんだけどね…………それ以上に、あの子に力の使い方という物を教えてあげて欲しいんだ。そうでないと…………ユー君の力は、ちょっとだけ危険だからね』
元帥という地位にいるが故に常に神田の傍にいるわけにはいかない師が、そう言っていた。
確かに、――――――確かにアレは、危険だ。エクソシストだから、という物ではない。エクソシストであろうがなかろうが、アレは、危険だ。使い方を一つ誤れば周囲の人間も、そして神田自身をも滅ぼすだろう。
この歳にして、これだけの遣い手。
元帥自らが、極東の国に迎えに行ったという事はある――――――。
『マリ、これ、判らない…………』
「ん? どうした?」
しかしながら、その脅威さえなければ――――――いやあったとしても、神田は可愛らしい弟弟子だ。
最近は私にもデイシャにも懐いてくれている。当初元帥の足元を離れなかった事を思えばこれは多大な進歩だ。
神田が指差した文を読み上げると、彼はそれを復唱した。若年ゆえに、言語の習得は早いようだ。これなら半年と掛からず会話が可能になるだろう。
納得したのか声を上げて喜ぶ神田を見て、――――――さて、この子供をどうやって導こうかと、そんな事を考えた。