連れて来られた先は、体育科の第一体育館の裏。
 授業時間帯だけど体育館は使われておらず静かだ。
 先を歩いていた彼女は、奥まった人気の無い場所まで来ると俺を振り向いた。
 俺は近くの木に背を預けて凭れかかる。

 漆黒の瞳に怒りの炎が揺れて見える彼女は、腕を組んで俺をギン、と睨み付けた。

「…………何?」

 睨まれる心当たりは無い。俺が振った子ならまだしも、彼女はそうじゃない。

「いい度胸してんじゃねぇかクソ兎」

 …………クソ兎って…………
 ってゆーか女の子がクソとか言っちゃうのはどうなの? 見た目清楚で上品なお嬢様系なのにさ。
 …………まぁ、人は見た目じゃないけど。

「いい度胸って…………」
「流したのテメェだろ」
「…………流した?」

 何? 水?

 俺が疑問に思って眉根を寄せると、彼女はどうやらそれをしらばっくてれてると取ったらしい。
 盛大な舌打ちをする。

「チッ!」

 …………ガラ悪いなぁ…………。

「あの事実無根もいい所の噂。流したのはテメェだろ。仕返しのつもりか?」
「噂?」
「そっちがそのつもりならこっちも…………」
「ちょい待ち、噂って?」

 …………何?
 知らないさ、そんなの。

 俺がそう訊くと、彼女は一瞬だけ躊躇ってから、

「俺が…………売りやってるとかどうとかだ!」
「…………、」

 …………。

「…………あんたが売りやってるなんて言いふらした記憶は無いさ。んなつまらない事はしない」

 そんな、振られた腹いせみたいな真似…………

「…………。」

 彼女は多少面食らったような、しかし俺を信じてはいなさそうな顔をして俺を見る。
  
「そんなの個人の自由じゃん。あんたが売りしてようが何してようがそれって俺が広めるべき事?」


 ダンッ!!


「いっ…………」

 腰が抜けるかと思った…………。

 彼女は俺が凭れていた木に、俺の顔から僅か数センチの所を思いっきり殴りつけた。
 所詮女の子の力だ、なんて侮れるような強さじゃないレベルの強さで。
 木から抗議のようにばらばらと葉っぱが振ってきた。

「…………。誰が売りしてようが何してようがだ。んなふしだらな真似するか!! 大体金に困ってねぇ!!」
「だ、だってあんた、パトロンいんでしょ? あの紅毛の男とか、」
「…………はぁ?」

 胸に苦いものを感じながら言うと、彼女は大げさに眉根を寄せた。

「じゃあ何だ、この歳になったらてめぇは母親と歩いてる男がいたらお前の女かって訊いて歩くんだな?」
「…………はぁ?」

 何、その例え。

「帰りが遅くなった娘を親父が迎えに来るのの何処が不自然で何処がパトロン云々だっつーんだよ。そりゃ確かに最初呼んだのはあいつじゃねぇけど」
「…………はぁ、?」

 …………親父…………

 …………父親!?

「って、えぇ!? 何、あの紅毛、あんたのっ…………!?」
「そうだ、それがどうした」
「に、似てないにも程あるさ!?」
「うっせーな、俺は母親似なだけだ」

 何その遺伝子のマジック!!

「え、やった、じゃなくて!! あの黒い肌の奴と白いのは…………」
「…………? ティキとモヤシか? お前あいつら何処で見たんだ」

 モヤシって…………人名?
 …………何処で見たって…………
 …………ストーカーしましたとは言えないよなぁ…………。

「校門前で、」
「あいつらは親父の会社で働いてる親父の部下だ。俺の家は遠いから親父が来れねぇ時はあいつらが俺の送り迎えしてる」
「…………」

 空いた口が塞がらないってのはこういう事だろう。
 彼女はブツブツと、「そもそもあの親父が俺が運転すんの認めねぇから悪いんだ」「そうだ今度勝手に車買おう」だの言っている。
 少しずつ、頭の中が冷えてくる。

 えーと、それは、…………何?

「…………まぁそれはともかくだ。じゃあ俺が売り云々ってのはてめぇが流したんじゃねぇのか」
「あ、ああ? ああ、うん」
「…………見込み外れか…………」

 …………彼女の中ではすっかり俺は悪者だったらしい。

 俺の表情で言いたい事を察したのか彼女はけっ、という顔をして、

「女の敵なんざ信用できる訳ねーだろ」
「敵って…………」

 否定できない我が身の哀しさ、だ。

 って…………ん?

『あの事実無根もいい所の噂。流したのはテメェだろ。仕返しのつもりか?』

 …………仕返し…………?

 俺以外のその「真犯人」を思い浮かべてるらしい彼女は、「こないだ振ったあいつか? いやでもあいつは別に女いたし…………」と容疑者の洗い出しに余念が無い。

「…………神田さん、」
「?」
「仕返しって…………俺神田さんに何かされたっけ」

 …………そりゃ、目の前で思いっきり振られたようなもんではあるけど。
 だけどあの胃の奥が軋むような苦しみや惨めな思いや、全ての物は俺の勘違いから来てるんだから彼女はある意味関係ない。
 
「何かって…………全力で担いでやっただろ」
「…………担ぐ?」
「…………、お前、気付いてないのか?」

 今度は彼女が驚いたような顔をした。
 それから溜息をついて、少し小さな声で、

「ならもうちょっと遊んでやりゃよかったな」
「…………?」

 え? 何? 何のこと?

「…………お前が浮気して別れたモア。…………あいつは俺の大切な友人だ」
「…………!」

 あ…………。

 そういえば、彼女は。
 あの時、リナリー・リーと一緒にいた。
 リナリー・リーもまた学内では有名なコで、そしてそのリナリー・リーはモアの友人だ。モアの話を聞きながら、じゃあその内御近付き出にも…………とか、その時から酷い事を考えてた。

「生憎と友人が蔑ろにされて黙ってられるような性分じゃないんでな」

 淡々と語る彼女の瞳が先程までとは違う種類の怒りに染まっている。
 さっきまでが赤々と燃え盛る炎なら、今のは絶対零度の氷みたいなのだ。
 怒りの度合いは、――――――多分今のほうが、深い。

「…………。」

 ああ、そういう、事か。
 つまり、彼女らが企んだのは意趣返しって奴で。
 俺が惚れ込んだら、振る気だったんだろう。確かにそれは八割方成功してた。
 あの迎えに来た親父さんをパトロンだと思い込まなかったら俺は彼女に惚れてただろうから。

「どうせ、やられて見なきゃ分からねぇんだろうお前みたいな頭でっかちは。その出来のいい頭で理詰めでは考えられても人がどう感じるかは分からねぇんだろ? …………どれだけそれが相手を傷つけるか、傷つけたのか」
「…………」

 言い返す言葉も、ない。

「知ってるか兎野郎。ドン・ファンは最後、地獄に落ちたんだ。――――――報いを受けてな」



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