「…………。」

 明るい昼間の縁側。
 柱に背を預けるようにしながら、ユウは陽の光を浴びていた。

「奥様、」
「うん…………?」

 控えめな仕着せを纏った侍女に声を掛けられ、ゆるゆる目を見開く。

「大旦那様が昼餉をご一緒したいと仰せですが…………」
「分かった、では母屋に参ろう」
「いえ、大旦那様がこちらにいらっしゃるそうですよ」
「わざわざ義祖父様にご足労頂かなくとも、」
「まぁ、奥様。あちらまで行く間に何かありましたら、どうなさいます」
「…………」

 断固として許さぬ、そんな様子の侍女に溜息をついて彼女は一言。

「数里の道でもあるまいに、」
「それでもでございますよ。奥様、最早足元がお見えになっていないのでしょう?」
「…………。」

 ぴしゃり、と言い返されて彼女は己の丸く膨らんだ腹に手の平をそっと押し付けた。
 もう何時子が生まれても可笑しくない時期の為、最近では確かに歩くと足元が危うくなる事もあるのは、事実。

「奥様とやや様に何か在っては私共は大旦那様にも若旦那様にも顔向けできませぬ」
「…………分かった」 

 そうとまで言われれば、断ることなど出来るわけが無い。
 溜息をついて、彼女は背を起こした。




 ・ ・ ・ ・




「今夜、ラビが戻るようだ。港に着いたとの報があった」

 箱膳を向かい合わせて昼餉を取っていた折。
 義祖父様にそう言われ、思わず笑んだ。 

「左様でございますか、」
「嬉しそうに言いおるな」
「…………」

 からかいの響きに、頬に熱が集まる。

「まぁ、産気づいてアレが傍におらねばお前も心許無いであろうしな」
「…………はい、」

 俺の夫、この家ブックマン家の若旦那であるラビは、海外での商談に出ている。いや、出ていた、というべきか。
 海外の国では正式な席には妻を連れて行くのが基本ではあるが、流石に臨月を迎えた俺が付いていく訳には行かず、涙を呑んで出かけていった。
 嫌だ、行きたくない、ユウと子供の傍にいたい――――――と散々喚き散らすのを、大舅と俺二人係りで縛り付けた結果だが。

「初産は遅れるものだ。あれも、焦らずとも良いものを…………」
「ええ」


 ツキン。


「…………?」  

 話の途中。
 微かに痛みが走った。

「うん? どうした?」
「いえ、何でもございません」

 ほんの一瞬の小さな痛み。
 その正体は分からず、内心首を捻った。

「無理はするなよ、何かあれば直ぐに休め」
「はい、」

 

 その小さな痛みが前兆であることは、俺はまだ知らなかった。




 ・ ・ ・ ・


 

 二週間ぶりの帰国。
 やりたくもなかった商談を終えて俺の気は急ぐばかり。
 港から無理を言って、馬車を一台仕立てて飛び乗ってきた。

「あ〜、急いで!! まだ産まれてないよね!?」
「わ、若旦那。そう急がずとも奥様もやや様も、逃げはしませんよ」
「俺が会いたいんさ!!」

 そう叫ぶとダグは、「そうですか…………」とだけ言って黙った。
 だって、気になるじゃんか。
 
 
 やがて家にようやく帰り着いたのは、篝火が炊かれるような時刻。
 出迎えに居並ぶ使用人の前を走って探すのは、ユウの姿。
 
「ただいまーっ!! ユウー!!」
「開口一番がそれか…………」
「阿呆! 義祖父様にご挨拶とご報告が先だろう!!」

 その姿を見つけて駆け寄るも、上下と礼儀に厳しいユウにぴしゃり、とそう言われた。

「…………うー…………」

 ユウは厳しいさ…………。

 仕方なしにジジイに先に商談の結果を報告してから、さっさと自分達の部屋に引き上げる。
 途中何度かふらついていたユウが、危うくてしょうがない。
 その体を支え、手を引いて導き部屋に戻る。
 座敷にユウが腰を下ろしてから。

「…………またお腹、おっきくなったさね」
「もう何時産まれてもいいそうだ」
「へへ…………お父さんが帰ってくるまで、お外に出るの待っててくれたんさ?」

 ユウのお腹の中の子供に話しかけた。
 出かける直前にも同じようなことを言ってたから、本当にもうぎりぎりなんだろう。現に最初に言われた産まれる頃合は過ぎている。
 時折中から我が子が動く音が聞こえるお腹に、耳を近づけて。

「お父さんが戻ってきたから、もういつ産まれてもいいさ…………早く出ておいで」
「まだ産まれるなって言ったり、早く出て来いっつったり…………お前も勝手だな」
「だってー」

 どうしたって、最初に抱き上げたい。生まれて来れば、ジジイも、そしてユウの親も弟も放っておくわけが無いんだから。
 
「最近良く動くんだ。もうすぐにでも産まれるだろう」
「そっか…………男の子かなぁ、女の子かなぁ?」
「お前はどっちがいいんだ?」

 そう問われ、思わず天井を見上げて真剣に考え込んだ。
 家の事を考えれば、跡取りに一人は息子が欲しい。
 だけどユウに似た娘も欲しい。
 一姫二太郎という言葉もあるくらいだし。

「…………どっちでもいいさ、子供もユウも、無事にいてくれればそれで、」
「…………占いの結果は、おかしいんだぞ。水占いでは男で、火占いでは女だった」
「何それ、当てにならないさぁー」

 占いなんて所詮そんなものだけど。

「アレンが、祝いの品を男児の物にするか女児の物で揃えておくべきかで悩んでたからな」
「結局どっちにしたんさ?」
「さぁ?」

 こればっかりは、神様しか分からない。
 
 楽しみに、待つとしようか。
 君が産まれて来るのを。






 ・ ・ ・ ・

「…………ん、」

 …………寝苦しい。
 暑い訳でもないのに、何だか知らないが寝付けない。
 
 かつては夜に動き昼に寝る生活を送っていたこともあるが、この三年程ですっかりそんな習慣は抜けてしまっている。夜には寝れるものなのに。
 
「…………ふぅ、」

 隣で眠る、今日船旅を終え帰ってきたばかりで疲れているだろうラビを起こさないように少しだけ体をずらした。部屋の隅の小さな行灯の揺れる灯りが
   
  
 ツキン。


「っ、」

 ああ、まただ。
 昼間から、痛みがあった。
 たまにしか来なかったものを、それが段々と間を詰めてきている。
 
 痛みは、過ぎ去ってしまえば何とも無い。
 …………悪い物を食べた記憶も、無いのだが。

 …………うとうとし始めると、また、


 ――――――ズキッ、


「…………っ!」

 今度は、これまでとは違うはっきり「痛い」と分かる感覚だった。
 思わず息が止まる。結構、長い。
   
 …………何だ?

 いい、寝てしまえばいいんだ。
 きっと寝れば分からなくなる。

 俺はそう考え、無理矢理痛みを無視して、眠ることにした。





 ・ ・ ・ ・




「――――――っ!」
「!」

 隣の気配が変わったことに、目が覚めた。

「ユウ?」

 殆ど反射的に名を呼んで、暗い中探れば直ぐにユウは見つかる。
 …………向こう側を向いてるみたいだ。

「どした? どうかした…………?」
「っ、――――――!!」
「ユウ!?」

 はっきりと、苦しんでいるのがそこでようやく分かった。
 慌てて跳ね起きて、


「どうした!?」
「…………産婆を、」
「…………へ?」


「子供が、外に出ようとしてる…………」

 
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「マジで?」
「嘘ついてどうするんだ、…………っつ…………!?」

 思わず呆然としていると、ユウがまたお腹を抱えた。
 
「わ、わー!? 陣痛!? 陣痛さ!?」
「だから、早く産婆…………」
「どど、どうしよう!? どーしよう!?」
「だから産婆…………」
「すぐ産まれる!? わ、わー!!」
「…………早く産婆呼んで来いっ!!」



 …………ユウにそう怒鳴られて。

 俺は、慌てて屋敷中走り回って、産婆と使用人達を叩き起こして回った。





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