初夏の里山。
青々とした草木はやがて来る過酷な夏を前に今が盛りとばかりに生い茂っています。
そして行き交うのは獣ばかりのその山の中腹辺りにぽつりと立っている、山小屋というには若干立派な家屋の入口には人影がありました。
「それじゃあ行ってきますね」
「ああ」
「早くに帰ってきますから」
「分かった」
小屋の主である白い髪の少年――――――いえそろそろ青年と呼ぶべきでしょうか――――――アレンと、黒い髪の押し掛け女房(?)神田です。
アレンはよいしょ、と細い木の枝で編んだ籠を背負うと何度も何度も恋女房(?)を振り返りながら山を下っていきました。神田はその背を、黙って手を振りながら見えなくなるまで見つめています。
そしてアレンの背が高い草木に囲まれ見えなくなると、名残惜しげに溜息を付いてから家の中に入って行きました。
男同士、いえ、神田は実は鶴ですのでオスではありますが神田はアレンと夫婦――――――番です。
そして神田の役目は家を守り、働いてきて疲れているアレンの為に美味しい食事を用意すること。
今日の夕飯の仕込みの前にと神田は近くの小川から桶で組んできた水に雑巾を浸し、絞ります。
彼の夫は片付けや掃除といった事には全く無頓着で自然とそれらは神田の毎日の仕事になりますが、それほど苦ではありません。寧ろ鶴の群れにいた頃から誰よりも巣を清潔に保っていた神田に取っては、汚い家に住む方が余程苦痛になります。
黙々と壁、柱、床、と雑巾を掛け続けその後は土間の掃き出し、それから洗濯――――――これは二人分ですので毎日はやりませんが――――――、薪割りと順調に仕事をこなし、そろそろ昼を、と顔を上げた神田の視線はある一点でピタリと吸い寄せられるように止まりました。
「…………ん?」
それはそこに鎮座していて、何故今迄気づかなかったのか不思議なほどです。
神田は暫くそれをじっと見つめ…………そしておもむろに立ち上がりました。
バサッ
小屋の前。
小鳥の類ではない、大きな羽音が響きます。
大きな風呂敷包みを手にし、神田は普段はその背に隠れたままの真白い翼を大きく伸ばします。
包みの中身は今朝作ったアレンの弁当です。里まで歩いても昼の時間には間に合うまい――――――そう判断した神田は、里の近くまでは飛んでいくことに決めました。
勿論人にとって翼の生えた人間など恐るべき存在でしょうから、人目に付かないように気を付けるつもりではありますが。
少しの距離を走ってから、神田は地面を蹴り空へと踊りだしました。
翔んでいた時間はほんの僅か。
里の入口近くの茂みに降り立った神田は一度伏せた体を起こし、何気無い様子を装い入口へと歩いていきます。
群れの中にいた頃、そしてアレンと番になってからも、神田はまだ人間の里を訪れた事はありませんでした。群れの大人達は時折人に化けて人里に行っていたのですが、それはまだ子供であった神田の役目ではありませんでした。人里には鶴の天敵とも言える猟師がいるからです。
しかしこの姿であればそう撃たれる事は無いでしょう。そう思い、神田はてくてくとその入口をくぐり抜けました。
「おーい、大旦那はいるかい?」
「ん? 何さ?」
里唯一の呉服屋。
その店先に顔を出し、大旦那を呼ぶのは里人の一人です。
それに応えたのは一人で店番を任されていた、若旦那のラビでした。
「おう、若旦那。ちぃとばかりよ、お前さんのとこの大旦那に見て欲しいもんがあんだよ」
「ジジィに? ちょっと待ってて。ジジー、おーい、ジジィー」
ラビが奥へと声を掛けると、軽い足音が近づいてきました。
「なんじゃ騒々しい…………ん? 鍛冶屋の所の…………」
「悪ぃなじいさん。ちょいと一緒についてきてくれねぇかい? お前さんの目を見込んでなんだ」
「ほう…………?」
「何があったんだ?」
「いやな、さっき里に見たことのねぇ奴が来て、山から帰ってきてた猟師の奴らが見つけたんだけどもよ、そいつがどうにも…………なんつーんだ? 綺麗すぎんだ。妖怪の類なら退治しなきゃなんねーし。それにアホか何なのか、こっちが何訊いたって碌に答えやしねぇ」
その言葉に、呉服屋の二人は顔を見合わせました。