僕は結局、三晩全てをソファーで過ごした。その所為もあり、背中が痛い。
 姫宮様も、最後の方では僕を信用してくれたのか近付いても最初のように震えていたりすることは無かった。
 ―――――――とはいえ、会話すら全く無いんだけど。

 新婚の三夜が明け、姫宮様はいつの間にか造営されていた離宮(いや、あった事は知ってたんだけど何の為の建物かは知らされてなかった。師匠の道楽かと思ってた)に移ることになった。
 姫宮様付きの侍女と此処の女官が連携して、手早く荷物などを運び込んでいる。
 支度が整わないからまだこの部屋にいる姫宮様は、無表情でそれを眺めながらお茶を飲んでいた。

 ―――――――明るい中で見ると、やっぱりとても、綺麗な人だ。
 
 求婚が絶えなかった、というのも嘘じゃないだろう。
 だけど僕は嫌われている…………のか、何なのか。
 未だに僕は、最初に姫宮様が師匠に挨拶した時以外姫宮様の声を聞いたことが無い。
 …………せめてお話位、したいんだけどなぁ…………。
 思わず溜息をついてしまうと、姫宮様と、その隣に控える最古参だという侍女の人二人の視線が僕に集中した。

「あ、す、すいません」
「…………。」

 視線だけを落として緩やかに頭を振る。
 …………気にしないでいい、っていう意思表示? かな?
 丁度その時、

「殿下、妃殿下。お支度が終りましたので…………」
「あ、はい分かりました。…………姫宮様、行きましょう?」

 そう促して、僕はまた、結婚式の時のように彼女の手を取った。





 離宮とは言え、実質王城とは廊下一本で繋がっている所だ。
 僕も立ち入ったのは初めてだったけれど。
 数年がかりで造営された所だったから、中庭にも既に花々が咲き誇っている。
 …………侍女と女官を従えた行列の中、ふと、姫宮様が足を止めた。
 振り向くと、その視線は中庭に注がれている。
 此方には余り無い、珍しい花々。…………海を渡って輿入れしてきた彼女の為に特別に取り寄せた、東の国の花だと聞いている。

「―――――――お気に召しましたか?」
「―――――――!」

 僕に声を掛けられて、足が止まっていたことに始めて気付いた、そんな顔で姫宮様が慌てて正面を向いた。…………意外に可愛らしい人だ。

「また後程、庭に椅子でも出しましょう。今日は暖かい日ですから」

 花を見ながらお茶にするのも悪くない。そして出来れば、少しは話したい。
 
「…………」

 こくり、と姫宮様が小さく頷いた。
  
 
 
   
「こちらの茶です。お口に合えば良いのですが」

 言いながら、今年の茶葉で紅茶を淹れる。最初は女官の人が用意をしてくれていたんだけど、折角だから僕が淹れる事にした。

「砂糖やミルクの方は?」
「―――――――、…………」

 少し首を傾げ…………ふるふる、と首を振る姫宮様。
 東の茶は確か一切砂糖もミルクも入れないシンプルな、茶そのものを味わうものだと聞き及んでいるから甘くしたものが想像出来ないのかもしれない。

「では、どうぞ」


 カチャッ
 

 姫宮様の前にカップとソーサーを置いた。
 そっとそれを物珍しそうに覗き込んでから、細い取っ手を怖々掴んで―――――――彼女はそれを口元に運んだ。

「…………」

 唇をつけ、そして表情をふっ、と和らげる。――――――気に入ってもらえたみたいだ。
 しかしながら僕には気になる点がある。

 姫宮様は、相変わらず一言も声を発さない。
 
 何なのだろう? お茶に誘って断られないくらいだし、今だってこんな穏かな顔をしているんだから会話もしたくないってくらいに嫌われているわけじゃない、と思う。というか、そう思いたい。

「姫宮様」
「、?」
「あのー、その…………」
 
 歯切れ悪く続けると彼女は不思議そうな顔をする。

「お声を。拝聴したいかな、なんて思うんですが」

 …………我ながら、なんでこんなに直球なんだろう。
 しかし僕が告げると姫宮様は顔を曇らせた。そしてそれまで沈黙を保っていた侍女の人(最年長の、侍女長だと聞いている)が一歩進み出た。

「申し訳ございません、殿下。――――――姫様は生まれつき声帯が弱くいらっしゃいます。婚礼前の国王陛下へのお返事でお聞きかとは思いますが――――――」

 ちら、と侍女の人と姫宮様は視線を交わしあい、姫宮様は静かに頷いた。

「…………あのように常に、まるで枯れたようなお声でいらっしゃいます。…………発声自体が喉に悪いとの事で、余り会話などは…………」
「っ、あっ、す、すいません!!」

 …………師匠の馬鹿!
 何で早く教えてくれないんですかっ…………!
 知ってたらこんな失礼な事聞かなかったのに!!

「…………、」
「え? 姫宮、様…………?」

 一人軽い自己嫌悪に陥っていた僕の手を、姫宮様が取った。
 そしてその細い指で、僕の掌につつ、と何か書き始める。

「s、o、rry…………いえ、違うんです、僕こそ大変な失礼を…………」

『ごめんなさい』
 其処に書かれた言葉の意味に、慌てる。
 …………あちらだって、まさか僕がそんな事知らないだなんて思ってなかっただろうな…………。

「…………」

 す、と伏せられた眼差しに、その姿に申し訳なく思うのと同時に――――――
 長い睫毛が瞼に影を落とす、その様子に心引かれる僕自身もいて――――――。

  

 ――――――胸の中を、酷くかき乱される、そんな感覚に陥った。


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