俺が油断したのは 落ちた紙袋に意識が行った為だろう。いやそもそも、こんな事は全く想定していなかった。
 常々弟子に言い聞かせてきた。人間にも気をつけろ、奴らはアクマかもしれないと。そんな事は、アクマを視る目を持つモヤシには何の意味も無いのだろうが。
 だが相手はアクマとも知れない一般人じゃない。其処にいたのは俺の弟子だ。それが甘さといわれれば其れまでなのかも知れないが。 
 発動した左腕、イノセンスがそれが「奴」が「奴自身」である事の皮肉な証明だ。 
 
「っ、かはっ、」

 下げていた六幻を握る腕に力を籠める。
 …………仮にも元帥位に就いている身だ。
 振り切ろうと思えば、振り切れる。
 例えば今すぐ六幻を発動して、こいつの左腕を切り落せばいい。

 ――――――んな真似が出来るかっ!!

 こいつは敵じゃない、弟子だ!
 
「んのっ、クソモヤシっ!」

 息苦しさに枯れた声で叫ぶ。
 正気を失っている様には見えなかった。事実、俺の声に多少なりとも反応している。
 多くの酸素を求めて喉が、肺が震える。
 
 …………解放は、唐突だった。

 身体が一瞬中に浮く。
 固い床に落ちることを想定して無意識に目を閉じ受身を取ろうとしたが、しかし落ちた先は――――――ベッドの上だ。

「、?」

 直ぐさま異変に気付いて目を見開く。
 

 ――――――ギシッ、


 ベッドが、軋んだ悲鳴を上げた。
 そこにいた、俺の上に圧し掛かってきている奴は、

 ガキで、
 とんでもない甘ったれの、

 そして何故かとても暗い瞳をした、

 俺の、弟子だった。
 
 
 










 もう駄目だ。
 全部、終わった。

 僕が終わらせてしまった。

 シャワルーム室から聞こえてくる水音を何処か遠い所でのように聞きながら、僕はベッドに腰掛けて虚ろに足元を見た。
 あの人は、僕が汚したあの人は、終わるなり何も言わず――――――僕を怒鳴るでも、詰るでもなく――――――黙ってシャワーを浴びに行った。
 それは怒られるのよりも余程冷たい拒絶を感じさせて、今更ながらに僕は自分がしでかした事を思い知らされて、一人で打ちのめされた。

 興奮も欲情も無い。
 ただ、繋ぎとめたくて、それだけであんな所業だ。
 少しでも冷静さか理性が残っていたらそんなのは逆効果でしかないっていうのは分かっただろうけれど。

『エクソシストの人手だって足りてねぇんだろ。あのモヤシでも何かの役には立つだろ。とっとと持ってけよ』
『…………分かってる。さっさとどうにかして、あんな奴は追い出してやる』

 …………分かってた筈だ。あの人にとって僕はお荷物でしかないなんて事は。
 
 師匠から離れた、いや置いていかれた時点で僕は一人前になってなきゃならなかった。
 なのに、僕はそうなっていなかった。だからこそきっと、元帥に付いたんだ。
 
 お荷物なのも、邪険にされてたのも、分かっていた。分かりきっていた。

 だけど捨てられる、のは、どうしても嫌だった。怖かった。
 傍に、いたい。
 傍にいたかった、だけなのに。

「どうして僕はこうなんだろう…………」

 視界がボヤけて滲む。
 その中でも、茶色の床にぽつぽつと黒い染みが出来て行くのは見えていた。

 何時だって後悔ばっかりじゃないか。

「…………す、い、」

 助けて。助けて。助けて。
 僕が言えた義理じゃないのは、痛いくらい分かってるけど、

 助けて、下さい。 






「…………おい、」

 いつの間にかシャワーの音は止んでいた。
 低い声に、背筋が粟立ってそこに冷たい汗が流れる。
 顔を上げなきゃ。
 上げて、謝って、それから、

 それから?

「…………おい、クソモヤシ」

 怖い怖い怖い。
 あの人の声が、きっと僕に注がれてる冷ややかな眼差しが、想像するだけで魂ごと凍り付いて粉々に砕けてしまいそうだ。

「…………、」

 溜め息が、一つ。


 ――――――ガッ!!


「っ!!」

 ベッドの上で腰掛けて俯いていた僕は、横っ面を殴られてバランスを崩してベッドの上に転がった。
 …………痛かった。
 だけど、これは当然の、当然過ぎる、いやむしろ全然足りないくらいの、報いだ。

「クソガキが、」

 吐き捨てるような声。

「…………お前な。誰彼構わず襲いたくなるほど溜まってたんなら、娼館でも何でも行って来いっつーんだよ」
「…………え、」
「行きずりの女にこんな真似してみろ。教団の名が地に堕ちる」

 …………違う。
 違う。
 行きずりの女の人になら、こんなことはしなかった。

「…………明後日。教団から迎えを寄越させる」
「――――――!」
「お前はそれについて本部に行け」
「げん、すい、」

 …………ああ、ほら、やっぱり。

 やっぱり、…………捨てられる。

 当たり前だ。僕はそれだけの、それが当然な事をした。
 分かってる。全部僕の所為なんだって。
 
 だけど、漏れる嗚咽はどうやっても止められなかった。



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