His and his master 3
新しいコーチマンの面接を終えた後に彼を含めた使用人仲間達の簡素にお茶を済ませ、僕はご主人様のディナーの準備をした。
このお屋敷ではお仕えすべき方はご主人様ただお一人なので、準備の類はとても楽だ。これがカントリーハウスであったりしたらこうは行かないだろう。
学校からお戻りになったご主人様に僕は恐る恐る、伯爵様から贈り物があったこととその中身をお伝えした。それから、ご主人様がお戻りになる直前に届けられた手紙を銀盆の上に載せてお渡しする。
心底うんざりしたお顔のご主人様は手紙の封を乱暴に破いて、中の手紙に視線を落としながら、
「必要にしている奴がいれば与えろ、居なければチャリティーに出すなり雑巾にするなりしちまえ」
と、仰った。
「畏まりました。ミルクメイドのアニーの姉がもうじき嫁ぐようですので、彼女に与えます」
「勝手にしろ」
良かった、これで名のある職人が精魂籠めて創り上げた、レースが見事な純白のドレスは命拾いすることが出来た。
疲れたように私室の椅子に深く腰掛けるご主人様は溜息を付いた。夕食までまだ少し時間があるから、僕はお茶の準備をする。
クリームを添えないスコーンとお茶を差し出しながら、今日あった事――――――ご主人様に取って不愉快な贈り物以外の事だ――――――を説明した。
「コーチマンとして当家の使用人に応募してきたリチャード・グレイですが、特に問題なく誠実であり当家使用人として相応しいかと。前に勤めていたアスター侯爵家の奥方様の推薦状を持っており、それらに捺された印は確かにアスター侯爵家のものです。アスター侯爵家を辞めた理由も、納得の行く物でした」
「お前がいいと思うならいい。任せる」
「ありがとうございます。では、明日より勤務とさせて頂きます」
スコーンには手を付けず、お茶だけを飲んだご主人様は本を開かれたので僕はそれ以上余計な言葉を発さぬように口を噤む。
やがてご主人様の本が半分まで進んだ辺りで壁時計が七時を指した。
ディナーの時間だ。僕がそう申し上げるまでもなくご主人様は立ち上がり、さっさとドアへ向かう。慌てて先回りをしてドアを開いた。
ご主人様のディナーの時間は一般的な貴族の方々のそれよりもかなり早い時間から始まる。
それはご主人様の空腹によるものではなく、ご主人様のディナーが終わらなければ夕食にありつけない僕ら使用人の事を慮っていらっしゃるからなのだ。
今夜も付け合せばかりをお召しになりメインディッシュの大半を残したご主人様は早々にフォークとナイフを持つ手を置いた。
直ぐ側で給仕に徹していた僕は何時もよりも進みの悪かったご主人様の食事のご様子に、これは何か問題があったかな、と残った皿を見下ろす。
テーブルを立ち、寝室に向かうご主人様のお供をし、そして部屋のドアを開ける。
部屋に入ったご主人様は、退出仕掛けた僕を呼び止めた。
「モヤシ」
「はい、ご主人様」
モヤシ、というのは僕に付けられた仇名だ。
貴族の方々は上級仕様人でない限り、使用人の実の名など知らないし、呼ばない。適当に通称を付けて、例えばアンシーと言う少女をナタリーと呼んでいたり、ともかくバラバラだ。
…………それにしてもご主人様の仰る僕に対するその呼称は、人間の名前ですら無い所が涙を誘う。
「食事が終わったら部屋に来い」
「畏まりました」
再度丁寧に頭を下げ、僕は自分達の食事の為に使用人ホールに向かった。
僕が使用人ホールに行くと、そこには既に他の使用人たちが集まっていた。
これから食事だけど、その前に一つ仕事がある。
セッティングが済んでいるテーブルを観察して、
「ジャン。デザート用のシルバーは最初にセッティングしちゃ駄目だよ」
「あ!」
当家はイギリスの貴族階級の家だけれど、元はフランスからの移住者をルーツとしている。故にディナーのセッティングはフランス古式だ。惜しい、これさえあってればパーフェクトだったんだけど。
テーブルの直ぐ側に立っていた、ボーイのジャンにそう教える。すると彼は全ての席から慌ててデザート用のシルバーを回収し始めた。
彼はカントリーハウスで伯爵様のすぐ傍に仕える従僕(ヴァレット)の息子で、将来父と同じ職に就くべく若くして使用人見習いとして此処で働いている。
使用人達のディナーは歳若く経験が浅く、まだご主人様に直接お仕えするには不安の残る使用人にとっては格好の練習場所だった。僕ら相手なら、グラスを引っくり返してもお皿を引っくり返しても、苦笑だけで済む。
それが済むと全員が席につき、そして僕らのディナーが始まった。
使用人のディナーが終わればまた、皆それぞれの仕事に向かう。僕はご主人様に呼ばれているので、自分の仕事の一つである銀器の手入れよりも先にお部屋に伺うことにした。
お茶を携えてお部屋にお伺いすれば、ご主人様は既にバスタイムを終えられ気軽な格好をなさり、安楽椅子に掛けて本に視線を落としてる。
「失礼致します。お待たせいたしました」
僕が声を掛けると、緩慢な動作でご主人様は僕に視線を移し、近くの小さなテーブルに置いてある手紙を指す。
読め、という意志を汲み取り、一声掛けてから開いた。
「…………。」
あぁ、ご主人様の食欲を無くしたのはこれか…………。
「書いてある通りだ」
不愉快そうに眉根を寄せつつご主人様は仰る。
我が親愛なるユー君へ、という書き出しで始まるそれに書かれていたのは、近く始まるご主人様の学校のハーフタームに合わせてカントリーハウスに顔を出すように、そしてその際には舞踏会を開く…………という事が書かれた伯爵様からのお手紙だった。どうして今日の荷物と一緒に届けなかったのか些か不思議だ。もしかして、荷物を問答無用でご主人様が処分される可能性を考えてだろうか。
「行きたかねぇが、仕方ない。準備と連れてく奴の選抜を任せる」
あぁ、これは大変だ。
だってご主人様がカントリーハウスにお戻りになって、無事で済んだことなどないのだから!
天を仰いで嘆きたい所だけど僕はそれを何とか堪え、
「畏まりました、ご主人様。そのように準備致します」
一礼して、そう申し上げた。
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