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 荒涼とした大地を一望できるテラスで、彼は溜息を付きました。

「…………それで? 勇者の随員に遅れを取ったと」
「…………」

 彼の言葉に不満気に口を引き結んだのは赤い髪の悪魔――――――勇者ラビの実の弟、ディックです。
 その眼前で静かに佇むのは「闇」を具現化した存在。全ての魔の頂点、北の大地の支配者――――――魔王と呼ばれる存在でした。

「顔を見られたのか」
「…………。分からない。一応隠したけどね」
「…………。まぁ、見られたとしてもラビが何らかの対策を取るだろうな」

 最悪口封じか、と魔王は抑揚なく呟きます。

「ラビ以外にいたのは、リー家の娘と狭間の奴だった。一人普通の人間がいたけど」
「狭間の? …………珍しいな」

 魔王はふ、と視線を大地へと向けました。

「そう言えば――――――先代に聞いたことがある」
「何を?」
「先代の弟が、人の娘を愛し子を設けたと。――――――が、その娘、殺されたらしい」
「まさか俺達に?」
「人間にだ」

 王の言葉に心底厭わしげにディックは眉根を寄せました。

「これだから、人間って奴は…………」
「仕方ない、奴らは弱い。弱いなりきに身を護ろうと必死なんだろうよ」

 だから異物を排除し異端を迫害する。
 王の言葉には相変わらず感情も起伏もありません。
 
「…………。哨戒に出る」
「そうか。任せる」
「所で。ラビのこと、訊かないんだな」

 ディックの言葉に、王は初めて目を細めて感情らしきものを浮かべました。

「聞くまでもない。お前を見ていれば、予想はつく」
「…………」

 王の言葉に返答せず、ディックは踵を返してテラスを後にしました。
 一人残った王は、服の胸元から覗く首から掛けているチェーンを探りました。
 チャリ、と微かな金属音と共に探し当てたのは小さなロケット。
 それを開いて静かに苦笑めいたものを口の端に浮かべます。
 そこに映るのは、黒髪の少女、赤い髪の少年二人、そして――――――最後の一人は。
 パチリ、とロケットを閉じた魔王は目を閉じ、まるで祈るかのように呟きました。

「ラビ、――――――早く、殺しに来い」












「ディック様、陛下のご様子は?」
「何時もどおりさ、何も変わらない」
「そうですか…………」

 魔王の身の回りの世話を務める侍従たる魔物達が眉を下げました。

「勇者は、いつ頃着くのでしょうか」
「近くだ。もう向こうの大陸を発っている」
「…………。陛下が、お気の毒でならないのです」
「…………」

 余りに強力な魔王であった父の子を産んだが為に命を落とした母と、世界のためにとその命を捧げた父。その二人を失った代償として当代の王には密やかで静かな平穏が約束されている筈でした。それは王国でラビが生涯飼い殺しにされる生活を送るはずだったのと同じです。
 しかし蓋を明けてみればこの始末。
 話が違う、と魔物達が肩を落とすのも致し方ない事です。

「勇者とて、国を恨んでいるのでしょう?」
「…………」

 その言葉にはディックは返しません。
 此度は勇者の血が流れるべき、として半ば自ら命を断った父と、絶望に狂った人の不穏な気配が為に命を断った先代の魔王。
 人魔が双方共に命を落すのは密約が結ばれてからは初めてのことでした。その原因となった王国を恨んでいないと言えば嘘です。いえ、嘘の筈――――――なのです。

「人間なんか、滅んじまえばいいのに」

 ぼそり、とディックが漏らした、元人間が漏らすには余りにも物騒な言葉に周囲の魔物達からは無言の同意が向けられたのでした。










「どう思う」
「どう思うって、まぁ、どうもないよね」

 カラン、とグラスの氷が鳴りました。最も今この酒場には給仕は居ないため、その酒はセルフサービスです。これ幸いとばかりに高価な酒で好みの味に仕上げたコムイをクロスは横目でチラリ、と見やりました。最も彼もアニタが仕入れた高価かつレアなビンテージワインを勝手に拝借しているので同じ事です。

「愚王は何処まで行っても愚王だな」
「まぁねぇ。病床について尚戦争したがるとは思わなかったよ。予想の斜め上って奴だね」
「愚者が真面目だと最悪だな」

 病に冒されて尚国王としての職務を果たそうとしてるんだからな、とクロスは口の端を歪めました。
 それが単なる領土欲から来ているのでなければ、もう少し評価したのですが。

「次代は不真面目だから今よりマシな状況かもね」
「次代か。城下の女を孕ませた挙句に殺した馬鹿息子。あれが王太子とは世も末だ」
「ましてやあの子、四英雄の血筋の娘だったのにねぇ」
「ジュニアは知ってたか?」
「僕は教えてない。それに、流石にこんな不祥事全力で王城が隠し通すよ」
「…………」

 二人の間にはふっ、と沈黙が落ち、

「滅ぼすか?」
「まぁ、異論は無いけれど」

 短いやり取りは物騒でした。
 嘗て初代の勇者に随行した魔導師であるクロスは元より、例え才においては妹に一歩譲るとしても四英雄直系の血筋の現当主であるコムイの二人には世界のためにならぬ物を排除する力があります。そして、その義務もあります。
 
「アーテフィリアからは密使が来てる。内情を教えて欲しいってな」
「スノーランドからもね。あ、そういえばアレはいいの?」
「あ?」
「君んとこの盗賊。デザートローズの次期王。デザートローズ勢に教えておかなくてよかったの?」
「デザートローズの王族やるかどうかは本人に決めさせる。アイツは碌に昔の記憶無ぇからな」

 クロスが飲み干したグラスにコムイがワインを継ぎ足します。
 当時軍の最高司令官、元帥であったクロスも勿論デザートローズには出陣しています。まだ歳若く医師として駆け出しだったコムイも、軍医として同行しました。
 最も二人共国からの命令に従う気など毛頭なく、全軍の約二割程の自身の意を受けて動く信を置いた部下達と共に虐殺していると見せかけてデザートローズの民を逃したのでした。
 ですか想像以上に逃げる力すら無い女子供が多く、城下の庶民を逃すのに時間を取られた元帥軍が王城に辿り着いた頃には別の将軍に指揮されていた部隊が王城を制圧し、国王と王妃はその場で殺されていたのでした。
 元帥を越えた戦果に満足した将軍は国王と王妃の首を落として持ち去った為早々に軍を引き上げ、その為その近くにあった、側近や高官だと思わしき人々の不自然な死体の山――――――まるで本当の山のように折り重なっていました――――――には特に興味を持たなかったようです。
 クロスがその山を退けてみると、そこにはまだ息のあった一人の少年。彼らはその身なりの良い、察するには王子であろう少年を守る為に固まっていたのだろうと推察したクロスが連れ帰ったのが…………

「アレだけ酷い目にあえば、それも仕方ない」

 恐らくその幼い目で見たのは両親が虐殺される場面。
 思い出さないほうがいっそ幸福かも知れない、とコムイは溜息をついて首を振りました。

「細かい事はラビに任せた。本人に告げるかどうかも含めてな」
「そういうところ大雑把だよね…………」
  





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