細い三日月ながらも月は大きく、皓々としています。
 常ならば酒でも片手にその美しさを愛でる帝も、最近のかぐや姫の様子にそんな事をする気にもなりません。

 今夜もまた薬師の家を訪れた帝は、いつも通りかぐや姫の居室へと踏み込み――――――そして一瞬、息を止めました。

 縁側に居た姫は夜空を見上げ――――――そしてその体にはまるで羽衣かのように、淡く月光が纏わりついています。

「…………っ、」

 今にも飛び立ちそうな様子でしたが、帝が近寄るとかぐや姫は振り向き、その動きに応じて纏わりついていた光は霧散します。

「…………お前は、一体何者だ?」

 改めて人ならざる所を見せ付けられれば帝とて問わずにはいられません。

「…………」

 微かに寂しそうな、そして苦しそうな顔をしたかぐや姫が、暫くの間の後に唇を開きました。 

「――――――俺は、遠き昔に大地を捨て去った月の系譜に連なる者だ」
「…………月人か」
「…………」

 こくり、とかぐや姫が頷きます。
 帝は思わず渋面を浮かべます。

 清浄なる月の民――――――御伽噺の類です。
 千年を越え万年を越え、永遠を一瞬として生きる生き物達。

「…………知らなかった、」

 ぽつん、とかぐや姫が呟きました。

「別れがこんなに辛いものだなどと、…………思わなかった」

 その言葉の不穏さに、思わず手を伸べた帝から逃げるようにしてかぐや姫が身を引きます。

「…………飽きていたんだ、変わらない日々に。千を越えても万を越えても変わらない永遠の繰り返し、魂の牢獄に」
「…………」
「…………だから、俺は――――――此処に来た」

 永遠の中の一瞬の気紛れのつもりだった――――――と、姫の唇が震えながら続けます。

「だけど、もう、俺は、…………帰らなければならない」
「…………」
「もう、俺は此処にはいられないっ…………!」

 言葉の最後が悲鳴交じり。
 帝は俯いて肩を震わせるかぐや姫を黙って抱き寄せます。

「…………なら、帰らなければいいだけの話だろう」
「駄目だ、迎えが来る…………」
「逃げればいい」
「無理だ、俺が逃げれば何処までも追ってくる。地上の隅々まで照らす月光から身を隠す術などありはしない…………お前が隠せば、月はお前を焼き尽す」
「…………そんなもの、」

 俯いた姫の顎に指先を掛けて、帝が仰向かせました。
 そして涙すら湛えたその眦と唇に口付けを落とし、

「幾度でも討ち払うだけだ」

 ――――――そう、低く囁きました。








 今宵の満月は、遮る雲一つさえありません。放つ月光の為かまるで辺りは昼間のよう。
 …………屋敷内では、かぐや姫が養父母と共に一室で肩を寄せ合っています。
 そして一人縁側で帝は軍勢どころか供一人としてないまま、愛用の銃を手の中で弄びながら月を眺めます。
 
「酒でもありゃな…………」

 帝はそんな事を、大して思っている様子でもなく呟きます。


 そして月が天頂に達し、一際強く輝いた瞬間――――――


 帝は手の中の銃を、構えました。







「…………地上の王か」

 突如として現れた一行の中から一人が歩みだし、帝にそう問い掛けます。

「ああ、そうだ」
「我等が皇子を返していただきたい」
「断る」
「…………」

 その返答を、予想していたとばかりに一人が溜息をつき――――――そして、さっ、と手を上げます。
 月の一行の武器が、一斉に帝に向けられます。そして、そんな脅しにもニヤリ、と笑うだけの帝に冷酷な声で告げました。

「ならば力ずくにでも、取り返す」

   

 


 ドォンッ!!


「!!」

 響き渡る銃声や争う音に、かぐや姫の肩がその度にびくり、と震えます。
 自分の身を心配してのことではありません。そんな事は些細なことですし、何より月の使者はかぐや姫を傷つける訳には行きませんしそのつもりもないでしょう。無傷で連れ戻さなければならないのですから。もしも傷一つ付けたならば、月の帝は、かぐや姫の本当の親は、その者をけして許しはしないでしょうから。
 こうして此処で養父母と共に居れば彼らの安全とて保たれる――――――のですが。

 帝の下に行きたい、そして、彼と共に戦いたい。 

 そんな想いだけが膨れ上がっていきます。 


 バシャッ


「――――――っ!!」

 何か液体が、障子に降りかかりました。
 黒く影として映るそれに、けれど何なのか言われなくとも察したかぐや姫が息を呑みます。
 帝がいかに強くとも、相手は月人の群れ。多勢に無勢もいいところです。
 …………月の民にとって、地上の民の命など虫のそれと同じこと。
 好んで奪いはしませんが邪魔立てするとなれば、殺すのも躊躇いはしないでしょう。

 厳しい目でその障子の方を見詰める薬師とその妹の横顔を一瞬泣きそうな目で見つめた姫は、静かに立ち上がりました。

「っ、神田、どうしたの?」

 妹が即座に声を掛けます。
 
「…………」

 部屋の一段高くなっている所に安置されている愛刀の元に向かうと、静かに其れを手に取りました。
 そして何をするつもり、と見守る養父母の方へ向き直ると、その場にひれ伏すようにして頭を下げます。

「――――――世話に、なった」
「っ…………神田っ…………!」

 泣きそうになる妹を抱き寄せた薬師が、哀しそうな顔で頷きます。
 
「…………さようなら」

 そう呟くと、姫は立ち上がり、そして一人外へと踏み出しました。


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