ある所に、鉢かづきと呼ばれる若者がおりました。
その名の由来は、いつ如何なるときも深い鉢を頭に、帽子か何かのように目深に被ってきた事にあります。
その異様な姿から、鉢かづきは何処へ行っても嗤われ、石を投げられ、或いは不気味なものを見る目で見られておりました。
…………その姿になったのは、鉢かづきがまだ「ユウ」と呼ばれていた頃のお話です。
「父上、母上…………」
とある都の大きなお屋敷。その座敷の中で涙を浮かべるのは、少女の見紛うばかりの容貌の一人の少年――――――衣装を見れば、良い所の若君と自然に知れる少年です。
「大丈夫だ、大丈夫だぞ…………」
それを慰めるのは壮年の男。
少年にとっては、叔父上にあたる人です。
まだ幼い息子を他所に、神田家の当主とその北の方が病に倒れたのは二月前。
必死の看病の甲斐も無く、長くは無いと告げられて少年ははらはらと涙を零します。
お父様の弟に当たる叔父上も付きっ切りになってくれてはいますが、しかしそれで少年の不安が晴れる物ではありません。
結局泣き暮らし、仏に縋るもそれも功を為さず、一月後先にお父様がお亡くなりになりました。
それを聞いたお母様はより病を悪くし、二週も経たぬうちに明日息絶えるか明後日まで耐えられるか、という所にまできてしまいました。
「ユウ、ユウや…………」
泣きそうになりながらお母様の枕元にいた少年に、お母様が細い声で呼びます。
「…………はい、母上…………」
「幼いそなた一人遺して逝くのは、心残りです…………ですが、大丈夫です。そなたには仏のご加護がありますよ…………」
そう仰いながら、お母様は病の身を無理に起こし、部屋の隅まで這うようにして向かいました。
「母上…………?」
お母様が手になさったのは、大きな鉢です。
思わず呆然とその鉢を見たユウに、お母様はその鉢をすっぽりと被せてしまいました。
「は、母上…………?」
目の前が暗くなって驚いたユウはあわあわと鉢を外そうとしますがそれは中々外れません。
「大丈夫、それを被ってさえいれば安心ですよ。…………ユウ。わたくしも、お父様も、いつでもそなたを見守っておりますからね…………」
ぱさり。
何かが倒れた音がしました。
「!? 母上、母上っ…………!」
そして、ユウの痛ましい悲鳴は、いつまでも長く響いたのでした。
数年後、ユウは十三歳になっていました。
両親が亡くなっているとはいえ、名門神田家の跡取り息子。その地位は揺るぎない――――――
筈でした。
「…………間もなくユウも元服か…………」
ぽつり、とこぼすのはユウの叔父上。
ユウの両親が亡くなって以来、妻子と共にこちらの屋敷で暮らしています。
頭が痛い、とはまさにこのことです。
ユウが母上に被せられた鉢…………それはまるで呪いか何かのように、どうやっても外せなくなっておりました。
そのような異様な風体のまま、間もなくユウは宮仕えを始めねばならないのです。
間違いなく悪評、嘲笑の元でしょう。
「ですから申し上げているのですよ、若君には隠居して頂く他無しと」
その叔父上の前で、つんとしながら刺々しく言い放つのはその奥方。
…………この奥方とその子達が、あわよくばこの家を乗っ取ろうとしているのは周知の事実です。
叔父上ご自身は、そうはいっても先の当主の嫡男であるユウが跡を取るのが道理とは思っています。…………思ってはいるのですが。
「このままでは神田の名が地に墜ちることでしょうね」
「、」
その言葉の刺々しさに、しかしそれもまた事実だ、と叔父上は溜息をつきます。
「…………全く、困ったものだ…………」
そう呟く叔父上も、その奥方にも、廊下の襖からそっと離れていく足音は聞こえていないのでした。
私室で蹲るユウの心臓は、先程からどくどくと煩く鳴り響くだけでちっとも収まってはくれません。
「…………っ、」
叔父上と叔母上の会話が漏れ聞こえてしまったこと。それは本当に偶然でした。
家の修理の件で叔父上に相談したいことがあったのです。
…………その為に叔父上の居室を訪れようとした、そんな時に聞こえてしまった言葉。
『このままでは神田の名が地に墜ちることでしょうね』
それが誰の言葉かなどは、考えるまでもありませんでした。
混乱する頭の中、けれど確かに叔母上の言葉も一理あるのだと、ユウは思います。
――――――神田家は右の大臣に仕える由緒在る家柄ですし、先の当主ご正室、つまりユウの母君も降嫁された尊い生まれの身です。それを、こんな鉢を被った、理由を知らなければふざけているのが気が触れているとしか思えない人間が当主になるなど――――――確かに、家名を貶めるものです。
…………ユウの元服にはもう間もありません。
元服が済めば成人として内裏に出仕し、亡き父上のように大臣やお祖父様にお仕えしなければなりません。
「…………」
覚悟を決めて、ユウはすくっ、と立ち上がりました。