鉢かづき 十三


 今日の昼の仕事は大変すんなりと終りました。こんな事はこちらに来て初めてです。
 いつものように、水桶を運ぶユウに足を引っ掛けて転ばそうとする奴も、石を投げてくる奴も、薪に水を掛けて火が付かなくなるようにする奴も、掃いて綺麗にしたばかりの庭にごみやら落ち葉やらをばら撒く奴、高圧的な調子で仕事を押し付けてくる奴もいませんでした。
 むしろ唖然とした顔で道を開けてくれるので実にスムーズで、かえって終るのが早すぎてどうしたものか、とユウは考えます。
 昼の仕事が終ったのですから夜までは使用人小屋で寝ていても問題ありません。まだ腰やら何やらは痛みを訴え、少し熱を持っているようです。けれど寝ればかえって痛みを意識してしまいそうだと、仕事で気を紛らわすことにしました。
 ユウは洗濯物を干したり、廊下に雑巾を掛けたりと休むことなく働き続けます。時たま身体を起こし、眉根を寄せながら腰をさするのに周囲は、その辛そうな、しかし綻び始めた蕾の如きの何処か艶めいた表情と、胸元からちらちらと見え隠れする紅い所有印の事もありますので色々と想像を巡らし、顔を赤らめるのでした。
 

 バタバタバタバタバタッ!!


 昼近く。
 廊下の端から、駆ける様な荒い足音が聞こえます。
 何だ、と掃除番に混じって雑巾掛けをしていたユウは顔を上げ――――――そして目を見張りました。
 そこにいたのは、走ってきたのは、まだ巻かれたままの包帯も痛々しい、寝巻きを羽織っただけの姿の若君でした。

「わ、」
「――――――ユウッ!」

 他の使用人達の手前、若様、と呼ぼうとしたユウの言葉は途中で千切られました。――――――若君が、きつくユウを抱きしめたからです。

「な、若、様」

 他の使用人達が唖然と自分達を見ています。
 …………使用人と主人の身内にしてはありえない振る舞いに、慌てて体を離そうとするも若君の腕はそれを許さず、きつく抱き締めたまま。
 
「良かった…………、良かった…………!!」
「…………?」

 うわ言の様に繰り返す若君。

「どっか、行っちゃったって…………出て行っちゃったのかと思った…………」
「…………? 何故、です?」
「俺が昨晩強引にしたから、怒ったのかも、って…………」

 その言葉に周囲は息を呑んだり顔を赤らめたりひそひそと囁き交わしたりしますが、若君にはそれは見えていないのかどうでも良いのか、一向に意に介した様子はありません。
 
「…………どうして出てったんさ?」
「俺には仕事がございますから、」
「…………」

 その言葉に若君は溜息をついて、そこで始めて少しだけ体を離し、ユウと視線を合わせます。――――――最も逃げられないようにと、腰を抱いたままではありますが。

「…………ねぇ、ユウ。俺、まだ肩痛いんさ」
「!」

 その言葉に慌てて若君の肩を見ますが、幸いその包帯に紅が滲んでいるようではありません。

「だから、部屋で包帯替えて?」
「畏まりました」

 …………それが、ユウを部屋に連れ込むための方便である事はユウ以外の全員が簡単にお察ししました。…………たった今走ってきた上に全力でユウを抱き締めていたというのに、「痛い」とはこれ如何に、でしょう。
 しかし主人の意向に逆らう程不届きな使用人はおらず――――――人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死ぬという格言もございます――――――、ある者は微笑ましく、またある者はある意味気の毒そうに、昨夜に続いて美味しく頂かれてしまいそうなユウを見送ったのでした。
 
 そして、主人と一人の使用人が去った後。

「いやぁ、ラビ様があれ程情熱家だとは存じ上げなんだ」
「まぁ、分からんでも無いがなぁ」
「あの鉢かづきがあれほど美しかったとは…………血迷われるのも道理という事か」

 その場では、使用人達が若主人の恋について声高に噂し合ったのでした。
 



<続>



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