「お、おお…………そなた、それは…………」
「…………申し訳ございません叔父上。…………家の事、何卒宜しくお願い申し上げます」

 荷物を纏め、腰に愛刀を挿したユウは叔父上の前で深々と頭を下げました。
 
 ――――――こんな姿で当主となる訳にはいかない。
 だから、どうか家を継いで欲しいとお願いし、自分はいては体面が悪いと出て行く決意を固めてまだ半日です。

「まぁ、まぁ、良いではないですか殿。ご本人がこうまで仰るのですから。…………ねぇ?」

 扇で口許を隠した――――――その扇の下が喜悦に歪んでいる事などとっくに知っておりますが――――――叔母上が、そう言いました。

「しかし…………せめて、どうだ、何処ぞに家でも持てば…………」
「…………いいえ、人が俺の事を知れば嘲りの対象となりましょう。俺の事は、使用人達にも口外しないようよく言い聞かせてください」
「…………ユウ…………兄上の忘れ形見のそなたをこうして辛い思いをさせるのは――――――」
「大丈夫です、叔父上。俺も男子でございます。――――――どうぞ俺のことはお構いなく、恙無くお過ごし下さい」





 家を出たユウに待っていたのは苦難の連続でした。
 食い扶持のため仕事を探そうにも小柄な体では中々見つからず、奉公するにも鉢が邪魔です。
 また、大分慣れてはきましたが鉢に視界が奪われる為に何度も転んだりもしました。そして何より、一番多かったのが、

「おい、なんだありゃ」
「ははは、頭でもおかしいんじゃねぇの?」

 人々からの、容赦ない蔑みと嘲笑の眼差しでした。
 …………家に居た頃から、使用人の中には――――――主に叔父上の一家が連れてきた人間です――――――次期当主でありながら異様な風体であるユウに陰で悪口を言う者はいました。けれど多くの昔からの使用人は、事情が事情、と暖かく見守っていてくれたのです。
 …………けれど既に此処は外、己は神田の家とは関係ない人間です。足元を払われ転ばされようが、野良犬にするかのように石や棒を持って追われようが、誰も庇ってくれません。
 保護する人間のいない子供にとって世の中が厳しいのは、当然の事。
 家を出てからというもの、井戸の水の他禄なものを口にしていなかったユウは、遂に疲労と空腹の余り、あぜ道から下の川に向かって転げ落ちてしまいました。
 それを見ていた人々は笑いながら、流されていくユウを指さしていたのでした…………。
 



 その翁は、土産として孫の為に甘いものを…………と買い求めた帰りでした。

「…………あれは…………なんじゃ?」

 ぽかん、と翁とそのお付きが、目の前の河を流れていく「それ」を眺めました。
 何処の家にもありそうな、大きな鉢です。
 しかし、その鉢の下には二つの足が生えています。

 ゆっくりと流れていく鉢。近づくにつれ、その鉢には足以外にも胴も手も有る事がわかりました。
 …………鉢に手足が生えた九十九神、というよりは人間が鉢を被っていると取るのが妥当です。

「いっ、いかん! 誰かあれを拾い上げよ!!」

 その言葉に、お付きの人々が慌てて河に分け入って、数分後無事に拾い上げたのでした。




 がやがや。
 ざわざわ。

「…………ん…………、」

 人の動く音に、ユウは目を覚ましました。
 …………あの世とは随分現世に似たものだな、とユウは見当違いのことを考えます。

「あらま、起きたの?」
「!」

 体を起こしてぼんやりしていたユウは、掛けられた声に飛び上がらんばかりにして振り向きました。
 鉢の中から伺い見るに、それは中年の恰幅の良い女性です。

「旦那様が鉢を拾って帰ってきたって聞いたから何かと思ったら、人間だったなんてねぇ…………」
  
 やれやれ、と首を振った彼女が、

「起きたならついておいで。恩人にお礼位言ったって、罰は当たらないよ」




「旦那様、件の鉢かづきを連れて参りました」
「うむ」

 …………ユウが連れてこられた先は、ユウと同じくらいの背丈の老翁の前でした。
 流石にユウも既に此処があの世ではない事くらい分かっていましたし、この部屋までの道のりに川に落ちた自分を救い上げてくれたのだ、と聞いておりましたので、丁寧にその場に伏してお礼を申し上げました。

「そなた、家はどこだ? 送ろう」
「…………」

 しかし老翁にそう言われ、ユウは言葉に詰まります。
 …………帰るところなど、ないのです。
 
 黙り込んでしまったユウに、察する物があった老翁は溜息をつきました。
 目の前の子供が着ていたのは、擦り切れてこそいましたが上等な絹の衣服で、大事に、それこそ川に流されている間にも放さなかった剣も銘あるもののようです。
 それなりの格式、地位ある家の子であるのは間違いないようですが、それにしてもやはり目を引くのはその鉢でした。
 …………継子か、庶子か…………
 自分の孫と同じくらいであろうその子供を老翁は気の毒そうに見やってから、

「…………丁度、風呂焚きをする人間を捜していたところだ」
「…………?」
「薪割りと水汲みは出来るか?」
「!」

 そう問われ、ユウは弾かれたように顔を上げ、こくこくと頷きました。
 
「時にそなた。名は何という?」
「…………俺のことは、鉢かづきとでもお呼び下さい」

 そしてその日より、ユウは自分の名を捨て、鉢かづき、と名乗るようになったのでした。


小説頁へ