鉢かづきの本来の仕事は主に夜です。
 今夜は特に、若君の帰還を祝う小さな宴が開かれた為、旦那様やそのお身内が入浴する時間も夜遅くにとずれこんでいます。
 幸いにも、余ったものだと言って台所の女中が麦飯のおむすびを持ってきてくれたので鉢かづきはそれ程空腹に悩まされる事も無く、最初の湯を旦那様が使われてから、次の方を待って空を見上げていました。
 暗い夜闇の中で、月と星は皓々と輝いています。
 …………人は死ぬと星になる、と語ったのは母でした。なれば、今は父母もあの星のどれかとなったのでしょうか。
 珍しく郷愁めいた事を考えながら、鉢かづきはぼんやりと空を見上げます。それは十三の歳に、家名を貶めないためにと家を出てきてからは、初めてのことでした。
 
 
 ガラッ、


「、」

 と、風呂の中で戸が開かれる音がしました。
 どなたかがお出でになった、と鉢かづきは壁に凭れ掛けさせていた背を起こし、風呂釜に向かいます。


 パチパチパチ…………


 薪が燃える音と、中から聞こえる湯を使う音だけが響きます。
 本来ならばこちらから湯加減をお伺いしたり、或いは入浴中の方の話相手とならなければならないのですが鉢かづきはそれが苦手です。なので旦那様やお身内はそれぞれに温く、や熱く、と仰ります。
 今入っている方は、特に何も仰いません。――――――丁度いいのかと判断し、鉢かづきは火の勢いが変わらぬようにと見張りました。
 そして暫くした後、不意に掛けられた言葉に、思わず肩を震わせました。

「ねーねー、ユウ」
「――――――!」

 木戸を開けて、顔を出したのは先程失礼をな態度を取ってしまったお孫様。
 旦那様のお身内、しかもたったお一人のお孫様、このお屋敷の次期ご当主を使用人と間違えるなど、そもそも無礼も千万な話――――――と鉢かづきは微かに俯きました。その場で膝を折り、頭を下げます。

「え、ええっ? な、何やってるんさ!?」
「…………先程は、大変な失礼を、」

 末端の使用人風情が、その大事な若君に向かって対等な口聞きの上にお前呼ばわり。
 とんでもない失礼を、と鉢かづきが小さな声で詫びます。

「へ? や、別に失礼って…………、」
「…………」

 使用人頭の耳に入れば叱責で済まされるかどうか。
   
「と、ともかく顔上げてよ、そんなに畏まられるほど俺偉くもないさ。まだまだ勉強中だし」
「…………、」

 それにしたって使用人風情とは全く違うだろう、と鉢かづきは心の中だけで反論します。
 しかしそのお言葉、顔を上げろというのを無視するわけにはいかず、顔を上げました。
 鉢かづきがおずおず顔を上げると、それに若君は笑顔を見せました。

「…………ねぇ、ユウ。ユウは、いくつ?」
「俺は…………十八になりました」

 十三の歳に旦那様に拾われ、もう五年も経つのです。
 
「じゃあ、同い年さねー」

 窓から顔を覗かせたままの若君が続けます。

「なら丁度いいさ、俺と友達になってよ」
「…………は、?」

 …………思わず鉢かづきは、ぽかんとした――――――最も鉢の下ですから若君からは見えないでしょうが――――――表情で、若君を見詰めます。
 …………何を言ってるのか、理解に苦しみます。 
 
「…………そんな、俺如きが、」

 恐れ多い、と呟きました。
 鉢かづきにとって若君は大恩ある旦那様の大切なお孫様。これからも此処で雇われることが叶うならやがては主人となるお方です。
 そんな大切な方に、学も才もない、卑しい身の使用人風情が友人などと――――――許されるものではありません。

「俺が頼んでも駄目?」

 若君が、寂しそうな悲しそうな、そんな顔をします。
 …………そんな顔をされてしまったと在れば、鉢かづきには返事は一つしかありませんでした。

「…………御意に」
 






「鉢かづき! 若様がお呼びだよ!!」

 翌朝。
 廊下に雑巾を掛けていた鉢かづきに、女中が声を掛けました。
 その声に鉢かづきが応じるより先に、周囲がざわめきます。

「何と? 若様が? 風呂焚き如きの何の御用ぞ?」
「ラビ様の珍品好きにも困ったものだ」

 鉢かづきは昨日の今日に、と溜息をつきながらその手を止め、立ち上がります。
 そして周囲の嫉妬と好奇の入り混じった視線の中、若君の私室のある西の対屋へと向かいました。 


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