「失礼いたします、若様」
「あ、ユウ。いらっしゃーい」

 低頭しながら部屋に入ると、若様は手元に書物と、紙と筆を置いている所でした。

「呼んどいて悪いんだけど、ちょっと待ってて? 手紙書かなきゃいけないからさ」 
「はい」

 大人しく入り口付近で正座し背筋を伸ばしていると、此処からは若様の手元がよく見えます。

「はは、字が下手だからこういうの時間かかるんさ」
「そんな事は、…………」

 無い、と否定したかったのですが。
 残念な事に、その字はどう頑張っても「上手い」とは言えない字でした。

「誰か代筆してくれるといいんだけどね」

 若君は本を見ながら、それを書き写しているようです。
 
「ま、でも恋文を代筆させる奴もいないか」
「恋文、」

 鉢かづきは小さく呟きます。
 それは確か、男が女に。或いは女が男に送る文です。

「そう。南に住んでるお姫ぃさんにね。本当はあんまり、気ぃ乗らないんだけど」
「…………?」

 若君は苦笑顔です。 

「…………俺ね。ジジイの本当の孫じゃないんさ」
「え」

 若君の言葉に、鉢かづきはポカン、として若君を見つめました。
 若君は手元の書から視線を外さずに続けます。

「親戚ではあるんだけどさ。俺も、小さい頃に親が死んじまって。見兼ねてジジイが引き取ってくれたんだけど、でも…………あっちで暮らしてる親戚の中には俺なんかよりずっとジジイと血が近い親戚もいて。…………俺のこと、良く思ってない奴もいるんさ。ま、だからこそ俺こうやって恋文なんざ作ってるんだけど」

 あっち、とは南の対屋の事でしょう。
 旦那様のお身内が大勢、暮らしています。

「…………若様、」
「俺は誰よりも頭良くなって、あっちの子と結婚して。ああこいつなら…………って思って貰えるようにならなきゃならないんだ」

 顔を上げて、若様はにっこりと笑いました。
 その様子には、全くその境遇を憂いているようには見えません。
 鉢かづきは、そんな若様の様子が眩しく見えました。
 恨みに思う訳でも、怒る訳でもない若様。心が広い、と思って暫く見つめます。

「あはは、ユウそんな見つめられると変な気分になるさぁ」
「?」

 …………変な気分、とは何でしょう。

「あーでも、上手く書けないさー…………あ。ユウは字書ける?」
「はい」
「ちょっと書いてみてよ」

 押し付けられた筆に、困りながら…………ユウはその教本を覗き込みます。
 薄く花の透かしの入った紙に文例をそのままに、最後に若君の名を記してみました。

「…………」
「出来ましたが…………」
「…………ユウ」
「?」

 その文を見ながら、若君が呟きました。

「ユウ、本当はいいトコの出?」
「!」


 コトンッ


 驚いた鉢かづきは、仕上げたばかりの文の上に筆を取り落としてしまいました。黒い墨がべったりとついてしまいます。
 しかしそれを気に掛ける余裕は無く、鉢かづきは凍り付いて若君を見詰めました。若君も鉢かづきの方を向いて、眉根を寄せながら問い掛けます。

「…………字書ける奴なんて、下働きにはいないさ」

 商家の抱える小間使いならまだしも、です。
 有職故実に長ける事が地位に繋がる時代。
 書は必須の科目ではありますが、そんなものを優雅に習っていられるのは上流階級、または少なくとも余裕のある中流階級以上に限られます。

 
 カタ、


 鉢かづきの手が、震えました。
  
 
 怖れた事が現実になるかもしれないのです。
 …………たった一つ怖れる事。
 それは生家が嘲笑される事。

 それを怖れるあまりに、飛び出してきたのですから。

「…………分かった、もう聞かないさ」

 …………若君が鉢かづきの震える手に、自分の手を重ねました。

「!」

 子供の頃から水仕事に力仕事にと働いてきた手です。
 傷は治る前に新たに出来、手当てなど碌にすることもありません。
 傷跡が残り、肌は荒れと、言ってしまえば醜い手を掴まれて、慌てて解こうと鉢かづきが手を振ります。
 …………若君の手は大きく、骨張っていますが綺麗で、それにこうして自分の手が触れていることに混乱してしまったのでした。

「お放し下さい、」
「何で?」
「お手が汚れます故、」
「…………何で?」

 重ねて問われ――――――しかも真面目な顔で――――――鉢かづきは返答に窮しました。
 どうすればいいのでしょう。

「…………働き者の手さ。汚くなんか無い」

 …………今朝できたばかりの、荒縄で擦った後に若君が指先で触れて、そっと撫でました。
 久し振りに触れた他人の手はとても暖かくて、


 どく、んっ


「…………、」

 何故か、…………何故かそんな事に、鉢かづきの心の臓の音は乱れたのでした。


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