「ただいま」
こんな事言うのは久しぶりだ。思い返せば最後の彼女と別れて以来になる。
リビング、キッチン共に人気はなし。
流石にあの足で外に出て居る訳ではないだろうと思って神田に貸し出した部屋を覗くと、案の定ベッドの上でぐったりしていた。足は今朝見た時は包帯だったはずが、随分立派なギプスになっている。
やっぱり折れてたのか、としゃがみ込んで眺めた。これは完治まで永く掛かりそうだ。
「…………ん、?」
ふと、人の気配に気付いたのか神田が小さく声を上げて、それから眩しそうに顔を顰めながら目を開いた。暫く視線を彷徨わせ、それから俺に焦点が合う。
「…………ラビ?」
「うん。ただいま。何、やっぱり折れてたって?」
「あぁ…………お帰り。右は剥離骨折だった。左が捻挫」
「うわぁ、痛かったんじゃねぇの?」
ぽっきり行く普通の骨折よりマシとはいえ、剥離骨折なら捻挫の痛みじゃないだろうに。そういう俺も大昔、部活の中学生位の頃、部活のバスケの最中にやった事がある。
体を起こそうとした神田に手を貸して引っ張りあげた。寝乱れた髪が顔に掛かっていて、妙に色っぽい。見上げられて若干ドギマギしないことも、無い。顔には出さないけど。
「そこまでじゃねぇと思ったんだがな…………」
「それもどーなんさ? あ、飯食った?」
「いや、まだ…………」
「俺も。食べられるならこれから食わねぇ?」
「ああ」
脇から手を入れて立ち上がるのを手伝う。うーん、左右どっちにも体重掛けられないってのも困りもんさ。いっそ車椅子が欲しい。
部屋から出るかとドアを見ると、ドアの横には入ってきた時には気付かなかったけど、松葉杖が置いてあった。
それを手渡すと、明らかに使い方を理解していない手つきで縋るようにして立ち上がる。
それからサイドテーブル代わりに置いてあった二段のカラーボックスの一番上に置いてあった、病院名入りの白い紙袋と薄いフリーペーパーを手にした。
「薬?」
「あぁ」
っと、と小さく呟いた神田は既に疲れた顔だ。俺は神田が掴んでいた紙袋を受け取る。
「鈍ってんな…………」
「鈍る鈍らないじゃねーさ、その状態。行けそう?」
「何とかな」
覚束ない足取りで歩き出した神田の後ろから眺め、いっそ俺が抱き上げて運んだほうが早いんじゃなかろうかとかそんな事を考えた。
駅ビルなんかにも入っている、安さより品揃えと品質をウリにした――――――俗っぽい言い方にすれば週刊誌の言う所のセレブ御用達って奴だ、勿論本物のセレブレティなら使わないだろうけど俺のような独身貴族には丁度いい――――――スーパーから調達してきた惣菜を並べる。ついでに俺は缶ビールだ。神田が目の前で呑まれると自分も欲しくて堪らなくなるタイプじゃなくて良かった。
箸を突き刺した鳥の唐揚げは既に揚げたてではないから流石にサクサクとは言いがたかったけど、下味がしっかりついていて美味い。神田はバジルが効いた温野菜のサラダばかりをつついている。女子か。
何時もだったら味は良くとも何処か味気なさを感じる食卓も、差し向かう相手がいるとまた違う。会社や店では同僚やら友人やら目の前の相手とで頻繁にあるが、自宅では久しぶりの事に少しだけ高揚している。彼が仮に彼女で万が一にも恋人同士だったならば俺は多分「結婚しよう」と伝えただろう。
「肉は?」
「いや、いい」
流行りの草食系って奴だろうか。俺は肉無いと駄目さ、力が出ない。あと十年もしたらまた変わるんだろうけどまだまだ胃袋は若いつもりだ。
「しかしまぁ、全治一ヶ月かぁ…………」
剥離骨折だから仕方ない。軽く見えて治療には時間が掛かるやつだ。まさか一月丸々休職する訳にも行かないだろう。休職は火事の片付けや新生活の準備まで含めて十日間だと聞いている。
「一月位は内勤に回してもらう事になりそうだ」
「だよねぇ」
無理は禁物だ、完治前に無理をして悪化しましたじゃ洒落にならない。入社早々にこんなザマだと苦い顔の神田に苦笑で返す。気持ちは分かる。
早々に食事を止めた神田は薬とともに持ち出してきたフリーペーパーを開いた。此方からはやたらとポップなローマ字でCHINTAI、と書かれたカラフルな表表紙が見える。どうやら若い世代、寧ろ大学生位向けの情報誌を選んできたらしい、まぁその方が家賃は安いだろう。
「イイ所ありそう?」
「…………どっちを取るかだ」
「利便性か、家賃かって事?」
「最寄り駅まで徒歩二十分…………通勤時間が今迄よりも五十分増しでも良いならこれまでと同じ家賃の所もある」
「うへぁキッツー…………」
そんな物件、俺だったら真っ先に候補から外すだろう。
「風呂がないのは、流石にな…………毎日銭湯じゃ却って高くつく」
渋い顔でフリーペーパーを眺める神田の顔から察するに、イマイチらしい。
「…………なー、神田。此処から今の会社迄って、どん位掛かんの?」
「乗り換え一回で、二十分位か」
それがどうかしたか、と言いたげな神田の表情。アルコールが頭に回ってた俺は、つい余計な、いや、早すぎる事を口にした。
「俺さ、どうせあんまり帰ってこないし、部屋も余ってるし…………なんなら部屋貸そうか?」
酔ってる。