何時もより大分早く、会社に来た。
 昨日の夜は神田を電車に押しこめ彼の家の最寄り駅で降ろし、それから帰った。早い退社だったのに家に帰り着いた頃には既に日付が変わる寸前だった。
 体は疲れているのに頭の方は冴え冴えとしている。

「営業の神田、来てる?」

 入り口を守る警備員に問えば彼は気圧されたかのように頷いた。目立つ奴だ。警備の中でも顔と名前が一致するんだろう。

「…………」

 入り口を抜けて、社員証を翳してエレベーターを呼ぶ。
 一瞬行き先を考えこんでから、開発室のある階のボタンを押した。

「はぁ…………」

 駄目だ疲れが全く取れてない。
 エレベーターが指定した階に付く。のろのろと足を引き摺りながら開発室のドアノブを回し…………エラー音に顔を顰めた。

「…………指紋認証にしろっつーの、ったく…………」

 再び社員証をドアに付いている小さな認証機器に翳して中へ。案の定まだ誰も出社していない。暗い室内に電灯を付ける。パッ、と一番奥の部長席までが明るくなる。
 って、無駄無駄。俺しかいないのに…………。また総務から開発は非協力的だ、とか文句言われる。
「節電」とデカデカ貼られたポスターを一瞥してから灯りは必要最小限のものにする。
 それからメインコンピュータと自席のパソコンに電源を入れた。ブゥン、と音がして黒い画面にザザザと白い英文が流れていく。
 取り敢えず立ち上がった事を見届けてから洗面所に向かった。

「あー…………ヒゲ剃ってくるの忘れてた…………」

 実にみっともない。とはいえ開発は客前に出る日でもなければそれほど身なりに気を使うことはない。着古したTシャツにデニム、便所サンダルで仕事してる奴の何と多いことか。
 俺はリーダーという立場上客先に出ることも多い。一応常備してある髭剃りをデスクまで取りに戻る。
 顔を洗って髭を剃り、タオルで拭うとそれなりにさっぱりした。

「…………さて」

 営業もまだ人はそれほど居ないだろう。今なら顔を出しても奇異の視線を集めるようなことは無い筈さ。注目されるのにも奇異の視線を向けられるのにも慣れてるけど、相手はそうでもないだろう。
 様子見に、行こう。
 そう決めて、立ち上がっているデスクのパソコンにセキュリティを掛けておく。
 まだ静かな廊下に踏み出して、再びエレベーターホールを目指した。









 開発の人間の社員証じゃ、本来はロック中の営業室には入れない。
 役職者なら別だけど、俺の社員証じゃ本来はまだ何処でもパスって訳には行かない。何せただのリーダーだ。
 なのに今俺が開発室内にいるのは以前こっそりセキュリティ関連のデータを弄ったからだ。俺の社員証は重役並みの権限がある。上層部も馬鹿だ、社員にセキュリティシステム組ませるからこうなる。外注すれば良かったのに。最もコムイやリーバー辺りは気付いてそうだったけど何も言われなかった。俺もコムイやリーバーが俺と同じ事してたのを見て見ぬ振りをした。まぁ、そんなもんさ。だって面倒だし。

「…………」

 その営業室内。
 神田は真っ暗な室内で、自分のデスクと思しき場所で突っ伏して眠っていた。腕に顔を埋めていて、そこから覗く横顔が真っ白だ。少し隈ができているようにも見える。 
 …………その横顔に、「何か」を思い出しかける。

『ッ…………!』

「なっ!?」

 な、何さ今の? 何さ今の!?
 瞬間的に脳裏に蘇ったビジュアルに自分で慄く。
 頼りなく不安げな、それでいて艷めいた…………
 思い出したのは、酒の力で忘れ去っていたはずの記憶。
 いやいやいや、無い無い無い! 
 俺はノーマルでこの間のアレは酒の勢いのたまたまで…………! 事故だ、そう事故みたいなもんさ!
 だから決してありえない、「ちょっといいかも」なんて一瞬でも思ったなんて!!

 揺り動かそうと伸ばしかけた手を慌てて引っ込めて後ずさった。
 …………そうだ。どうせ後一時間もすれば他の営業も出てくるだろう。そしたら神田だって寝てられない筈…………その頃もう一度来ればいいんさ。
 そんな「逃げ」を決めて俺は可及的速やかに営業室から退避した。






 …………寝てる位ならわざわざ早く出てくる意味はない。
 どうして神田が早く出てきたか…………その理由に思いを馳せる余裕は、その時の俺には無かった。






 俺が自らの性的指向の保護の為から営業室に逃げ戻り、それから一時間。
 開発室の窓から覗く外には出社してきた社員達の姿がぽつぽつと見える。フレックスタイム制を採用しているこの会社では社員が同じ時間に一斉に出社することはない。コアタイムまではまだ三時間近くある。

「さて、と」

 相変わらず開発室には人気がない。
 仕事の性質からか、個人の考えからかは知らないが開発の人間は全体的に出社時間が遅い。まぁ最も、ちゃんと「出社」することのほうが少ない職場だから家に帰れた時くらい多めに見ていただきたい、というのはある。

 そんな誰もいない開発室で気合の声をあげて、自分の頬を軽く叩いた。
 流石に営業はもう居るだろう。

 再び階の違う営業室へ。予想通り、そこには既に何人かがいた。

「あれ? ラビさん?」

 驚いた顔で俺を見たのは営業の、新人の女の子。

「おはよー。ねぇ、神田来てる?」
「神田さん…………ですか?」

 来てる? なんて白々しく聞いては見たが来ているのは知っている。だってさっき見たんだ。
 知らない、という顔で他の営業社員を見た彼女に変わって、別の営業社員が応えた。

「あー…………神田君ね。今さっきまで部長に呼び出されてて、その後リーダーに呼び出されたみたいだけど」
「え」

 あれ…………残念、入れ替わり…………
 …………あ。

 昨日の神田の言葉が脳裏に蘇る。

『…………折角アポまで取って貰ったのに、リーダーになんて説明すりゃいいんだよ、こんなの…………』

 瞬間、ざわり、と二の腕が泡立った。
 
「リーダー、ちょっと機嫌悪かったよね」
「え? そうですか? いつも通りだったと思ったんですけど」
「ピリピリしてたわよ」

 女子社員達のお喋りに、嫌な予感が止まらない。

「ねぇ…………神田が呼び出された場所、何処?」



 神田は呼び出されてた。

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