「…………何かいる、よな」
目の前にはぽっかりと口を開けた大きな洞穴。
奥から響いてくる音は馴染みのない奴には風の音にしか聞こえないだろう。だけど俺達みたいな訓練を受けた輩には、それが竜の息遣いである事が分かる。今聞こえるそれは随分と荒く、不規則だ。
「…………機嫌悪そー…………」
個体差はあるが、一部時期を除けば竜族は人間に対して好意的だ。敵意を剥き出しにされることは滅多にない。それは俺達人間がか弱い庭の小鳥相手に本気にならないのと同じだ。牙を向くべき脅威とは思われていない。相手にされていないとも言う。
「どーすっかなぁ…………」
ユウを待つかどうか。考えて、首を振った。
一人でいい。というか、一人の方が、多分良い。
彼の色種が黒竜種であり、彼のみならず色種全体的に他種と相性が良くない種族だというのは契約してから大分経ってから知った。
人付き合いならぬ竜付き合い――――――独身のユウにとっては其れは即ち交尾を含む――――――が悪いユウは、俺の学生時代にも今の軍属になってからも何処と無く竜の中でも浮いている。当人は気にも掛けていないだろうが。
そんなユウと気が立っているだろう竜を合わせたらどうなるか。火を見るよりも明らかで、血を見るだろう。
「よーし…………行くさ!」
余程の事がなければ殺されるようなことも無いだろう。俺達には判別不可能でも、竜族には契約者は判別できるらしいし。
恐る恐る、洞窟の中に足を踏み入れた。
『…………小さき者よ。命が惜しくば往ね』
ユウ、たーすけてー!
洞窟は思っていたより断然浅かった。はいいけど、如何せん案の定奥に居た青竜は想像以上に機嫌が悪い。牙を剥いて唸られるのは初めてだ。
「りゅ、竜さ、」
『往ねと言っている、喰われたいのか!』
「ひぃぃぃぃぃ!」
その気になれば一呑みだろう。確かに。
『お前程度でも、食えば乾きの癒しにはなるだろう』
「ぎゃあああ勘弁して下さい勘弁して下さい!!」
慌てて背を向けて逃げる。…………追ってくる気配がないから立ち止まって、そっと振り向いた。
実際追う気なんて無かったんだろう。首以外は微動だにしていない青竜は眼を閉じて体を横たえている。
「えーっと…………具合悪いんさ?」
『…………往ねと言っておろうが、物分かりの悪い小童ぞ』
「っていうか! 青竜じゃん!? 何でこんなトコいんの!?」
海竜の別名を持つ程に青竜は海で暮す。そもそも他の色種と違い陸での行動に適していないという。弱体化が著しいからだ。
竜体の乾きは幼い竜にとっては命取りにすらなる。
『お前には関係ない。さっさと往ね、直にお前の竜が迎えに来る…………』
「ユウ? 近くに来てんの?」
『入って来られるのは不愉快だ。あの竜、我が退けられるほど弱くない』
良かった。
不幸中の幸いにして、この青竜はユウよりも格下らしい。竜の上下関係は力の強弱によるものだから、厳密で厳格だ。青竜の方は戦意を喪失しているらしく、首を下げて溜息だ。
暫くすると巣穴の入り口に気配を感じた。
「――――――ラビ!」
「ユウ、青竜が、」
「あぁ」
人の姿で現れたユウは奥で蹲る竜を一瞥し、居丈高に命じた。
「遣いでも務めでもないならとっとと里に帰れ、青竜。此処は軍の領地だ。赤の奴らと諍いを起こしたのはお前だろう」
『…………帰れるものならば、とうにそうしておるわ』
「? 帰れないんさ?」
「翼でも痛めたか」
ユウが一歩前に踏み出す。と、青竜はサッと首を持ち上げ威嚇した。
『――――――寄るな、黒き竜』
下位の竜に命じられることに不快そうな顔をしたユウは小さく舌打ちした。青竜の方も、力比べになれば不利な事は分かっているだろう。それでも先程までの戦意喪失ぶりを翻してまで牙を向くということは余程此処を離れられない理由があるのか…………。
青竜の態度に腹を立てたのか、ユウの髪がざわりと波打った。竜体に戻るには此処は少し狭い筈だけど、この洞窟壊しても良いと思っているなら大丈夫だ。
睨み合い唸り合う竜の声の間に、ふと、小さく別の音が立った。
パキリ、とした何かがひび割れるような音。
「? 何さ、この音」
『――――――、』
「!」
青竜が息を呑んだ。ユウも驚いたように目を見張り、動揺にか微かに肩を震わせた。
『出てくるな、此処は水がない、』
自らの腹下を覗きこむようにして出てくるな、と何度も語りかける青竜の姿に俺はユウと顔を見合わせた。
『あぁ…………』
何処か悲痛な青竜の呻き声と、それから。
『…………キィー』
小さな鳴き声が聴こえた。