一月前、黒竜種の住処。王国東部峡谷、通称「嘆きの谷」。
「もし。そこの黒の」
優雅に宙を泳ぐ黒竜を呼び止める声があった。
「ん? 赤のがどうした?」
岩陰より姿を表したのは赤竜種だ。
黒竜種と赤竜種の住処は隣接している。東南部の火山地帯が赤竜種の住処だ。縄張り意識というものがあまりない竜達にとって互いの住処とは言え他色種は駆逐するような対象ではなかった。
「我は先触れ。黒の長への目通りをお許し願いたい」
「誰だ?」
「我等が長。赤の王」
「…………許すも何もねぇな。来てくれ」
「感謝する」
赤竜はその場で天に向かって吼えた。
やがて南の空には一際大きな赤竜を筆頭とした数頭の赤竜の集団が見えた。
今の黒の長は老齢だ。
老竜と呼ばれる頃も過ぎ、最早古竜と呼ばれる程に時を重ねた。体中に刻まれた皺と傷跡とが過ごしてきた長さを示している。偉大な竜とは言えども加齢には勝てず、最近は巣穴の奥深くで日がな一日体を横たえていることが多い。
彼は現在の各色種の長の中では最高齢であった
その名代として用いられているティキは比較的若い部類に属する成竜で、長の血縁であることもあり長の世話から警邏、伝令までこなす働き者であった。
「…………何用ぞ、クロス」
黒竜の長の声は低く嗄れている。
「あぁ、無理に擬態しようとするな。そのままでいい、イェーガー。体に障るだろう」
黒の長の巣穴に入るなり人の姿を取った赤の竜に応じて人の姿を取ろうとした黒の長に、赤の長――――――クロスは肩を竦めてそう告げる。
「…………言葉に甘えよう。最近はあれも中々、辛くてな」
「まだくたばるなよ? 今の黒の奴らにお前の跡目を今すぐ継げる奴はいない」
「最もだ…………」
長く嘆息する黒の長――――――イェーガーは独り言の様に呟く。
「目星は付けてはいるのだがな。如何せん若すぎる上に…………」
そこまで呟いてから客人の前であったことを思い出し、緩く目を閉じる。
「…………それで。クロスよ、何用だったか」
「あぁ。務めに出る竜の供出要請に来た」
「…………もうそんな時期だったか…………」
各色種には割り当て頭数に応じて、人に協力し共に働く竜を出す義務がある。
中でも個体数が圧倒的に少ない黒竜種の割り当ては少なかったが、それでも皆無ではない。
今彼らの言う「務め」に行ける条件に当て嵌る者は…………と考えを巡らしたイェーガーは、該当者がたった一頭であった事とその該当者に溜息を付いた。いや、その彼以外にも自分の傍に控えるティキもまた該当者でもある。だがしかし彼を今務めに出すというのは目が見えない者が杖を手放すのと同じだ。そしてあの若き竜はティキのように働く事はないし、出来無いだろう。
それはティキにも充分分かっている事らしく、
「…………じー様。神田を行かせるのは俺どうかと思うんですけど」
「だがしかし、あれ以外に誰がおる?」
「…………。」
他の竜達は歳老いているか、伴侶を得ているかだ。身軽な独身で、ある程度若い竜というのは僅かに二頭。内片方のティキは手放せない。となれば――――――
「あれも、もう子竜でもない。我儘が通る物でないと、知らしめねば」
嘆きの谷、その崖の下。
人は下る事は出来ない切り立った崖の下にこのような風景が広がっているとは、予想だにしないだろう。
崖の下の地面には柔らかく草花が生えている。竜体であれば一頭が体を横たえるのが精々な程の、小さな崖の底の土地。
そこは黒竜種の最年少である青年の住処であった。
「…………」
竜体ではなく人の姿を取っている。なにも岩肌で鱗を傷つけるかもしれない場所で竜体を取る必要はなかった。
人の姿で、長い黒髪を散らし草花に埋もれるようにして眠っている。
そんな彼の上に影が差した。ついで響く、同族の声。
「…………」
鬱陶しげに眉値を寄せた青年はゆっくりと眼を見開き崖の底の近く迄竜体でやってきて、着陸寸前に人の姿を取った同族の彼を見た。
「…………何の用だ、ティキ」
「よう神田、久しぶり」
黒竜種のストレート種である彼の名前は、神田ユウと言う。竜族の習いにより、上位者にはユウと、下位者には神田、と呼ばれている。
最年少ながら年長であるティキに「神田」と呼ばれ「ティキ」と呼ぶ彼は若くして黒竜種社会の実力者であった。
「爺様が呼んでるぜ」
「長がか。何用で」
「オツトメ要員ご指名だ。ありがたく拝命しろよ」
「…………ふざけんな」
茶化して伝えるティキに、神田は低く唸った。
「俺は此処を離れない。そんな下らない事、他の奴らにさせろ」
「今俺達「黒」で独り身の大人なのは俺とお前だけ。何? 俺の代わりに爺様の介護する?」
「…………」
神田は不機嫌そうに口を一本に引き結んでティキを睨みつけた。
「他の奴らは年だったりこれから子作りしたりで忙しいんだよ。おわかり?」
「…………」
「もうお前だってガキじゃないんだ。此処で黒竜として暮らしてくならそれなりに務めは果たしてもらわなきゃ困る。――――――大体俺達竜にとって務めの数十年なんてあっと言う間だろ。ごちゃごちゃ文句付けずに黙っていけよ」
「…………」
暫くティキと神田は睨み合う。…………此処で喧嘩になったら分が悪いのは俺だな、とティキが一人ごちるなか、先に視線を逸らしたのは神田だった。
竜族は、中には赤竜種のような例外もいるが基本的に同族間での争いを好まない。特にそれが同じ色種なら尚更だ。
「…………」
黙って視線を逸らした神田の側に、ゆっくりとティキは近付く。
通常、伴侶の無い成竜が取る「緊張緩和」の手段は――――――
「っ!」
ぺろり、と頬を舐め上げられて神田はビクリと震えた。
ティキは頬を舐め上げ、それから耳朶を甘噛みする。
竜が竜同士での争いを回避するために取る手段、それは交尾だった。それは未婚の大人でさえあれば雌雄は関係なく同性異性問わず行われる。
「!」
能力としては神田はティキの上位に位置するが、体格で言えば成竜となって間もない神田のそれはまだ小さい。花の上に神田を組み敷いたティキは耳朶を甘く噛みつつ鱗を変化させた服の中に手を入れる。
胸の性感帯を強く押された瞬間――――――
「触るなっ!!」
神田は怒鳴り散らした。
鋭く蹴りを入れようとして、けれど予想していたらしいティキに逃げられる。
「二度と俺に触るな、次は食いちぎってやる…………!」
およそ同種に吐くには剣呑すぎる捨て台詞を残して、神田は飛び跳ねるようにして身を起こすとすぐに地を蹴った。人の姿から本来の竜体へと転じ、そのまま力強く羽ばたいて崖を上っていく。
置いていかれた形のティキは溜息を付いて。
「あいつにも困ったもんだよ。なぁ、アルマ?」
神田が寝転がっていたすぐ側にある、磨かれた岩一つに愚痴を漏らした。
「来たか…………ティキはどうした?」
「知らねぇ」
長の素穴にやってきた神田はぶすっとした顔でそれでも答える。
それを赤竜達は苦笑顔で見守った。
隣人達の秘蔵っ子、次期、いや年を考えると次々期か。黒竜王候補である最年少の青年は随分扱いづらい。最も年長者からしてみればその扱いづらさは可愛らしい、とも取れるが。
「秘蔵っ子を出すか。いいのか」
「あぁ。これもそろそろ巣穴の外を知るべき年頃だ。そなたの配下としてなら安心できる…………」
「…………」
不快そうに口を引き結んだ神田は無言だ。
しかし視線は眼前の赤竜の長に釘付けられている。
圧倒的な力の差、というものは若くして上位に上り詰めた神田には縁の無い物だった。勿論最上位ではないので自分より上位に位置する黒竜がいないわけではない。だが同種の子供を愛するその上位者達が神田に向かってその力を振るう事はなかった。神田にとって彼らは戦えば負けるのだろうがそもそも戦う筈のない相手だ。
だが目の前の赤の長は違うだろう。逆らえば容赦なく叩きのめされるだろうことを予感させる。流石に黒の長の巣穴でそのような強行には及ばないだろうが、これから向かう先は此処から遠く離れた人里なのだ。
「務めの期間、年に二度は戻ることを許そう」
「!」
「アルマの墓に花を手向けたいのだろう。お前の留守中はティキに守らせる。案ずるな」
「…………」
神田はぺこり、と頭を下げた。
その時風圧が起こり、巣穴の入り口に誰かが着いた。誰からともなく視線を送ると現れたのはティキだ。
「なぁ爺様。契約者が見つかるまでの間俺も向こうに行ってもいいか? やっぱり神田を一人で行かせるのはちょっと心配なんだよ」
「…………ふむ。その程度の期間であれば問題も無いだろう、他の衆の手を借りる事にはなってしまうだろうが…………」
「…………やはり甘いな」
そんな赤竜の長の呟きは、周囲の取り巻き達の咳払いによりかき消された。
→3
竜族設定。
・上位者は下位者を名前で呼び捨て。下位者は上位者を血名(苗字)で呼ぶ。
・喧嘩しそうになったら取り敢えず交尾する。但し独身同士限定。伴侶がいる竜に伴侶以外の交尾の誘いを掛けるのは最大の侮辱になる。
・竜族は見た目に反して結構気が長い。
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