暗殺者の薄ぼんやりとした視線は相変わらず宙を彷徨っている。王に代わり今その口元に給餌しているのはラビだ。中々食らいつかない暗殺者に困った顔で、匙を目の前で動かして気を引こうとするものの中々その試みは上手く行っていない。
九割の敵意と一割の戸惑いを持ってその視線の先を追っていたアレンは王が発した言葉に居住まいを正した。
「準備しろ。戦だ」
「はっ」
相手の説明もなければ期日の説明も無い。だがアレンにはそれでも十分だった。大体今このタイミングで戦を仕掛けるとなれば相手は明らかだ。
東方の蛮族、恐らくは暗殺者の主人共。王の障害となる、それだけでアレンには彼奴らを屠る理由となる。武官である彼には戦は本分であるとも言えた。
だがそんなアレンも、続いた王の言葉に思わず眉根を寄せる羽目になる。
「戦にはコレも持っていく。割り当ての人員を確保しろ」
「コレって、まさかソレですか」
王の足元に座り込む暗殺者。相変わらず首には戒め、それは王の座る椅子に繋がっている。ラビに手をかけさせているが相変わらず我関せずの顔だ。理解もしていないだろう。アレンとラビは再度入室を許された時に暗殺者の催眠が解かれたことを王から聞かされていた。だが思ったような変化は無く、王曰くこれは元からの性質だろうとのことだ。まだ解いたばかりで安定しておらず、時間が経てばもう少し頭も回るようになるだろうとの事ではあったが。
どちらにしろその頭やら何やらに問題のある、しかし腕だけは妙に立つ暗殺者を護衛しつつ見張るというのは軍にとっては負担以外の何物でもない。最も王にそんな泣き言を漏らすのはアレンと全ての軍人の矜持に関わるので、有り得ないが。
「心配するな。催眠は解いてある。多少は大人しくなってんだろ」
「多少…………」
だが暗殺者の力量からして下級武官には任せられまい。かと言って頭を務めるアレンが直々に監視する訳にも行かない。適任者は誰だ、とアレンが腕の立つ武官の顔を思い浮かべていると、
「じゃー俺が付いてってコイツ見てるさ」
「は?」
王の足元で屈み込んで給餌をしていたラビが名乗りを上げた。アレンにしてみれば自軍の戦力を削ること無く暗殺者を監視できるならば――――――元々ラビはアレンと同じく武官にするべく育てられていたので腕は立つのだ、但し文官故に滅多に披露されないが――――――、願ったり叶ったりなのだが珍しい申し出にアレンは露骨に警戒の表情を浮かべた。
「それは…………有難いといえば有難い申し出ですけどねラビ。何か企んでるんです?」
「何も企んで無いさ、ヒッデェな…………あ、食った! よーしよし、もっと食うさー」
「…………」
ガシガシと暗殺者の頭を撫でるラビに、それは王に傷を付けた仇なんですが、とアレンは小さく呟いた。
ラビの王に対する忠誠を疑う訳ではないが、もっと、こう…………。
「連れて行け。ソレのお守りには丁度いいだろう」
「…………御意」
王が許すなら異論など何もない。アレンは片足を引き腰を落とし、丁寧な礼を取った。
王の言葉から僅か一時間。
城壁には駱駝騎兵が居並び、王が現れるのを待っている。
先頭で装備を整えて城門を見据えていたアレンは、そこに現れた王の姿に何度目になるか分からない溜息を吐いた。
王専用の一際体格の良い駱駝――――――並の男には乗ることさえ難しい程の立派な体躯に豪奢な鞍を乗せている――――――に乗った王、の手前に乗っているのが、
「どうして陛下がソレと二人乗りなんですか…………」
一応、仮にも、王専用の駱駝には王以外を載せることは許されていない。筈だ。
「問題ねぇ。コレは人間じゃねぇからな」
さらりと返された言葉に王の後ろで別の駱駝に乗っている軽装のラビが頷いている。自分と彼ら、どちらが暗殺者に対して酷いのかとアレンは一瞬だけ考えて止めた。考えるだけ無駄だ。
アレンが号令を掛ける前にさっさと走りだしてしまった王の駱駝を追い、軍勢は動き出した。
…………何が起こってるんだ。
王が子供や他の人間と話しているのは分かっていた。だが話の内容は全く覚えていない。頭がぼんやりして考えられない。
ぼんやりしている内に王に抱えられて、見たことのない生き物の前に連れてこられた。一瞬、主人達が俺達のような手駒を食わせた獣を思い浮かべて背中に汗が伝ったが、
「何駱駝にビビってんだお前は。人なんざ食わねぇよ」
そんな事を言った王は俺を抱えたままその獣の上に乗った。背が高い獣だ。位置が妙に高くて落ち着かない。俺は足首同士と手首同士を鎖で繋がれているから降りて逃げる訳にも行かない。足に感じる獣の生温い体温が酷く居心地悪かった。生きている生き物に触るなんて、もう何年振りだ。
一言子供と会話を交わした後王は獣を蹴って走らせ始めた。思ったよりも早い。そして妙な振動が伝わってくる。
振り落とされぬようにと強く掴むと獣は煩わしそうに首を振った。
「おい、振り落とされたいのか」
後ろから腕が回ってきて、動けないように腕を掴まれる。
引き寄せられてこの身は王の腕の中、不安ではあったが力強いそれから逃れられるとは到底思えない。逃れたところで行き場もないことだ。
大人しく従うのが吉と判断し、身じろぐ事もなく黙り込んだ。
ラビは単なる好奇心。
人間扱いはされていない。