「ほー。流石に上手いじゃねぇか」
男の太い首には真っ直ぐな横の線。一動作で重要な血管まで断ち切り死に至らしめた、ナイフを握る暗殺者に感心する。
暗殺者の方は、断末魔の痙攣を繰り返す男を呆然と見下ろす。
ナイフを手に襲い掛かられ、刷り込まれた本能とも言える動作で凶器を奪い取り、反対に相手の首を掻き切った。その動作には一瞬の迷いもなかった。
「これでお前を害せる奴は居なくなった」
暗殺者に掛けられていた催眠の中で最も強力なものは、主人への絶対服従。極めて高い殺傷能力を持った暗殺者達が主人に牙を向く事など無いようにと丹念に丹念に刷り込まれた暗示。
他の殆どは解いた王が唯一手出ししなかったのはそれだけだ。解けなかったというよりは、解かなかった。そんなもの、暗殺者の主人を消してしまえばいいだけのことだと思ったからだ。
「怖くなかっただろう?」
「…………」
ずっと震えていた体は、もう震えていない。
暫く血塗れのナイフを見下ろしていた暗殺者の体が、ふらり、と倒れかけた。その体は王によって抱きとめられる。
「陛下」
「後始末は任せる」
残りの奴は生かすも殺すも好きにしろ、と王はアレンに丸投げした。勿論アレンが誰一人として生かしておくつもりなど無いであろう事は分かっての事だ。
自らの衣服が血塗れになることも厭わず、目を閉じた暗殺者を抱き上げた王は背後から聞こえる断末魔の声には一切興味を示さず、その場を後にした。
「ん…………」
微かな頭痛を覚えた。目が覚める。眼の奥が鈍く痛むが、頭の中は霞がかっていたのがすっかりと晴れていた。
与えられた任に関係の無い事を考える度に碌に纏まらなかった思考も、どうやら多少は戻っている。
冷たい石の上ではなく、柔らかく上等な布の上。だが、暫くの間囚われていたあの砂漠の王の部屋ではない。
天蓋で外と隔てられた寝台の中にいた事に戸惑って、眉根を寄せた。
何時もの癖で身に着けていたはずの武器を探し、自嘲する。そんなもの、あの王を殺すのに失敗した時に奪われたに決まっている。武器になりそうなものも、少なくともこの天蓋の中には見当たらない。
どうしたものか――――――と考える間もなく、勢い良く天蓋の布が跳ね上げられた。
「!」
「お目覚めか。元主人の寝台で眠る気分はどうだった」
何処か愉しげに薄く笑みを刷いた王。俺が殺そうとして失敗し、俺を玩具にし、そして俺を呪縛から解き放った相手。
「そう聞いたら不愉快だ」
俺は果たして幾度この寝台の上で鞭打たれた事か。
女を抱くことより他人を鞭打つ事に興奮していた醜悪な表情を思い出して、思わずうんざりする。
「頭は少しはまともになったか」
多少は利発そうに見えるぞ、と誂うような言葉。不思議な男だ。捉え所が無い。
「…………何故俺を殺さなかった」
意識のある所を嬲り殺しにしようなどと思わない限りは、意識がない内に殺した方が楽だっただろう。
俺の主人の居場所を知り、始末した今となっては俺を生かし続ける意味など無い筈だ。俺は王の命を狙った重罪人で、死罪人の筈だ。その位分かっている。
だが、俺の言葉に王は片眉を跳ね上げ、
「何だお前、催眠が解けても死にたがりは相変わらずか」
「死にたいと思っているかどうかは分からないが」
世の中死んだほうがマシだと思える事はいくらでもある。これからの処遇によっては今直ぐ舌を噛み切った方がいいだろう。
楽に死ねればいいんだが。
暫く俺は王と無言で視線を交わした。
強い光は底が知れない。その内心は読めない。
殺すことだけを考えていた頃だったら分が悪いと逃げ出しただろうが、今はその強い光を向けられても逃げ出すつもりにもならなかった。無言で逸らすこと無い視線を向ける。
暫くの後、王は口元を緩めた。
「聞かなかったか」
「何をだ」
「言っただろう? お前は俺が貰い受けてやる、と」
「…………。あんたが暗殺者を必要としているようには見えないが」
それとも玩具としての価値か。それだって、あれだけ何人も寵姫を抱える男が必要とするとは思えない。
「あぁ。そうだな」
手を伸べられる。顎を触れられ、掴まれた。
「お前よりも役に立つ兵も、お前より可愛げのある女も幾らでも持っているが」
広大な領地を持ち、東西の財を抱える王。周辺諸国に狙われても、それを鼻で笑ってあしらう程の強国。
望めば、何でも手に入るんだろう。
「だが、黒い毛並みの獣はまだ持っていない」
「俺は獣か」
「似たようなもんだろう?」
人に給餌をさせた癖に、と王が笑う。
そういえば臓腑の痛みは多少マシになっていた。
「お前は戦利品の獣だ。大人しく俺に可愛がられておけ」
あぁ、俺は愛玩動物か。
笑んだ王が俺の胸を突いて、寝台の上に転がされる。
あっという間に肌蹴られた皮膚の上を滑る手に、血に濡れるだけの生活よりは幾分マシだ、とぼんやりと考え。
そして俺は、王の所有物になった。
最強と謳われた砂漠の国。
その赤き王の傍には常に黒い青年が佇んていた。
戦ともなれば王の傍近くで刃を振るう青年は、何時しか敵味方より、恐れを籠めてこう呼ばれた。
「熱砂の王の、黒き獣」と。
<終>
そして暗殺者は王の飼い猫になりましたとさ。
めでたしめでたし。
そして緩い話なおまけの話へ続く。