薄暗い地下のバー。オーナーが道楽でやっているこの店は看板すら出してはおらず隠れ家風だ。そこのバーテンダーが知己であるラビは良く通っている。引っ掛けた相手を次々連れて来るものだからいつも向こうは苦笑いだ。
最も今日は何時ものように女連れではなく、バーテンダーも知っている友人を連れて来ていた。
「アレンだいじょーぶなの?」
ラビやアレンに負けず劣らずの色男、この店のバーテンダーであるティキがカウンターに突っ伏したままのアレンの白い頭を突く。
「大丈夫っしょ、そんなに飲んだわけでも無いし」
ミントを浮かべたグラスを片手にするラビがさらりと言う。
「ならいいけどさぁ。救急車呼ぶとか勘弁だぜ」
今客はラビとアレンの二人だけ。二人の姿を見たティキがドアにクローズドの札を掲げに行った。彼自身も仕事は終わりのつもりなのか、自分で作ったモヒートを片手にしている。
「しかしまぁ…………どうなのそれ」
つい先程まで今日の経緯を聞かされていたティキは若干渋い顔をした。聞かせたラビは片眉を跳ね上げる。
「何が?」
「チェリーな真面目君の背中押してやるのはいいけど、やりすぎじゃね?」
この辺はけして風紀が良くない、言ってしまえばラブホ街だ。勿論「休憩」するとなればそういう意味の方になる。それこそ段階を三歩飛ばしで進むようなものだ。
「ぜーんぜん? だってリンクだし、どーせ何もしねーさ」
ただ、そういう対象だと認識してくれればいいだけ。そう言ってラビは笑う。
だがティキにはどうもそうは思えないらしく、
「俺はそいつの事は知らねぇけど…………でもそいつも酔ってんだろ? ちゃんと理性働く? 大体真面目な奴ほどえげつねぇ性癖持ってたりするぜ」
「…………」
「ラブホ連れ込まれてお前らのお姫様が後で泣く羽目にならなきゃいーけど」
ティキの言葉に口元を僅かに引き結んだラビは携帯を取り出した。素早く番号を入力して耳に当てる。…………暫くの後舌打ちと共に耳から離した。電話をかけた相手は出なかったらしい。
「あーあ、知らねーぞ」
暫く無言で画面を見つめていたラビは気を取り直すかのように視線を上げた。
「…………ま、大丈夫に俺は賭けるけど。だからユウの事後押ししたんだし」
「アレンの時とはえらい違いじゃん?」
ティキの言葉に今度はラビは肩を竦めた。
アレンは良い友人だ、遊んでいて楽しいし、学力にこそ開きはあるが基本的に頭の回転は悪くないので会話だって楽しめる。ラビはアレンを高く評価している、但しそれはあくまで友人としてであり、――――――姉のような妹のような、神田の相手には相応しくないと拒絶した。あれで相手を一人と定めれば誠実になったのかもしれないが如何せん保護者を見る限り不安しか残らないからだ。
その下りと騒ぎを思い出してラビは薄っすらと笑う。対して店の中で暴れられたティキは思い出した内容にげんなりした表情。
「だってしょうがないじゃん、俺ユウがお嫁に行く時にはユウに兄貴達に混じって親族席にいるよ? 絶対親父さんの次位に大泣きするよ?」
「何時聞いても不思議なんだけど、なんでお前自分で神田の彼氏になんねーの? 自分で嫁に貰えばいいじゃん」
アレンを初めとした神田狙いの男を片っ端から駆逐して、その界隈をぺんぺん草の一本も生えない程の焦土にする癖にラビは自分で根本的な解決をしようとはしなかった。何よりも確実で手っ取り早いのは彼がその立場に立つ事だった筈なのに。
「駄目。近すぎて俺そういう目でユウの事見れない。お前妹いるでしょ? そういう感じ」
「そういう感じねぇ…………」
瞬間ティキの脳裏によぎったのは高笑いしながら人を傘で突く妹の姿だ。まぁ確かにそういう対象になる訳が無い。というより無理無理超無理だ。
「まぁ変なのユウに近づけたなんて知られたら俺がボコられるからそこは慎重に見極めたし」
「お前がそうまで言うならそうなんだろうけどさ」
果たしてこの街でどうやって一夜を明かすんだか。
ティキは顔も知らない相手に同情した。
「…………ん、」
何処だ此処。
目に入った見知らぬ天井に、暫くの間眉根を寄せた。考えてみても思い当たる場所が無い。
体を起こす。質素な部屋だ、テーブルが一つと、今迄体を横たえていたベッドだけの部屋。無味乾燥な部屋にビジネスホテル、と思い当たる。
記憶をゆっくりと辿る。そう、始まりはラビに誘われた酒の席、だ。――――――飲みすぎて、ぽっかりと記憶に穴が開いている事に気づいて愕然とする。そういう飲み方は、普段ならしない。泥酔した姿など見苦しいし、何より女が前後不覚になるまで飲むもんじゃないと思っている。いや、思っていた、か。
咄嗟にシーツを捲った。…………記憶にある通りの服だ、別に汚れてもなければ乱れてもいない。これで裸だったら死にたくなった所だ。
ほぅ、とまずは安堵に溜息を吐いて、それからベッドの傍を見回した。デスクの上には俺のバッグ。ベッドの横には靴がきっちり揃えて置いてある。…………誰だ? 酔った自分がやったとは、思えなかった。ラビやモヤシでもないだろう、奴等にそんな気遣いはないし、奴等ならこの部屋にいないのはおかしい。いや酔った俺を置いてナンパに出かけた可能性は無きにもあらずだが。
つらつら考えているうちに、ふとベッドの隣の小さなナイトテーブルの上のメモ書きに気付く。書置きか、と思い至ってそれを手に取り――――――几帳面な字と文面に、言葉が出なかった。
エレベーターホールから駆け下りてきた影に気づき視線を向ける。余程急いだのか息を乱して駆け寄ってきた彼女に取り合えず言葉を掛けた。
「お早うございます」
「お、はよ、ございます、っ、」
時刻はまだ六時台だ、予想していたよりは大分早くて助かった。
ラビがウォーカーと共に去った後。周囲に好奇の視線を向けられながらも意識の無い彼女を連れて何とか駅前まで戻り、近くのビジネスホテルに入った。週末の事だ、残念な事に空きはシングルが一室。ならばと彼女を寝かせてそれからずっとロビーで待っていた。フロントスタッフの視線が痛かったが仕方が無い。
謝罪と共に頭を下げる彼女に気にしないよう首を振った。そもそもの原因はラビだ。しかもあの様子だと確信犯だった。それを伝えようか瞬間考えるが、「何が」「どう」確信犯だったのか解説するには聊か気まずい物を感じて、彼女を置いて二人が帰った事だけ伝える。すると一瞬無言になった彼女が視線を鋭くした。
「…………あの野郎絶対シメる…………」
止めるつもりは無いし、私からも彼らには一言ある。
「それはまた後日にしなさい。…………家はどちらですか、送ります」
目立たぬ辺りのソファーに居たが、眠る訳にも行かず流石に多少疲れが残っている。だが、送り届けて図らずとも朝帰りの形となってしまった事を彼女の家族に詫びるべきだろう。
凝り固まった筋肉を軽く動かして解していると、
「…………ずっと此処に?」
「ええ、まぁ」
まさか嫁入り前の婦女子と同室する訳にも行くまい。過ちを犯すほど短慮でもないつもりだ。…………最も、判断能力が鈍っていたあの時は多少思うところがあったのだが。
再度深々と頭を下げる彼女を促して、外に出た。