さる藩のご家老とやらの来訪から34時間後、ようするに翌日の夜、使用人一人を供にしてラビは花街にいた。
こういった所にはよく出入りしている。
無論それは登楼して娼妓を買う訳ではなく――――――いや、そういう事も確かにしているが――――――、こういった所にはブックマン一族としては見逃せない様々な情報が転がっているのだ。
最も、今宵のラビはそんな事は関係無く、単純に憂さ晴らしの為に来たのだが。
「若旦那様、いくら旦那様がお許しになったとはいえ羽目を外しすぎるのはよくないですよ」
年が近い故に親しいダグという名の使用人がそっと囁く。
色買い目的で孫が花街を訪れる事を良しとしない祖父も、流石に昨日の事は何処かでガス抜きしないと爆発すると分かっていたらしい。
そっと小遣いを持たせたという訳だ。
「わーってるさ、んな事」
懐の金はそこらの店ならば十分最高位の太夫辺りでも買うのに十分な金額だ。とはいえ其のクラスの高級娼妓は床入りまで随分と手順を踏まされるのでラビは好まない。
余りでダグに旨い物でも食わせてやろうと思ったラビが振り向いた瞬間、ラビは道が割れている事に気が付いた。
「お、花魁道中かぁ」
雑踏の中でも遠くから鈴の音が聞こえる。何処かの金持ちが花魁を揚げたのだろう。
わくわくした顔で行列の方に顔を出しにいくラビに、溜息混じりにダグが一言尋ねた。
「いつも思うんですが、若旦那様? いつもあれだけこの国のお嬢さんを娶るのを嫌がっておられる割にはこういったところは好きなんですか?」
「んー? 俺、遊ぶならどこの子でもいいさ。嫁にしたいとは思わないけど」
さらりと痛いところを付いたダグにラビは苦笑しながら返す。
仕方ないだろう、ダグはあの頃まだ自分付きの使用人ではなかったのだから。
「それよりダグも見るさ」
「俺は興味が…………いたたた」
人ごみに挟まれて悲鳴を上げるダグを尻目にラビは人ごみから顔を出した。
ちりん、ちりんと鈴の音が鳴る。
頭には屈強な男衆。それに続くのは鈴を携えたまだ幼い禿とそれよりは年上の振袖新造。
華やかな彼女らに囲まれて行くのが花魁本人だ。
「どこの花魁だい?」
「待て待て、ああ、ありゃあ…………桜雪楼の蓮宮太夫だね」
屋台の物売り達の話をさり気無く聞いて理解する。
この花街でも最大級の楼を持つ桜雪楼の太夫なら花魁道中になど見慣れた花街の連中であっても興味を引かれるのだろう。
桜雪楼は花街の顔。
他の楼でなら散茶やら呼び出しやらを十分に張れるであろう娼妓ばかりを揃えた名楼だ。
大名や貴族の通いも多いと聞く。一方で庶民には余りの値の高さに手の届かない、まさに高嶺の花だ。
行列がゆったりと進む。
美しい未来の名妓候補の少女達が目の前を通り過ぎていくようになると、前の方で溜息と歓声が上がった。
「ああ、相変わらず見るだけで寿命が延びるようだ」
「ありゃあ本物さ、娼妓にしちゃあ珍しい類だよ」
(そりゃ、おおげさってもんだろさ…………)
寿命が延びるほどの美人とはこれいかに。
ならそれにあやかって是非とも彼女の姿を一目見ようとより背伸びをした瞬間。
呼吸と、時が止まった。
列の華やかさに反して、花魁本人はぱっと見は然程華やかさを感じさせなかった。
黒い髪を結い上げ金の幾つかの長い簪を挿している。打ち掛けは黒地に金糸銀糸で蓮の花を象った一見すれば太夫には似つかわしくない地味な衣装。
だがある程度近づけばそれが非常に手の込んだ、恐らくはとんでもない金額のものである事が分かる。
ラビは、息を呑んだ。
しかしそれよりも、ラビの目の引きつけて放さなかったのは――――――その目だ。
媚も甘えも甘さも、一切ない。
ただ真っ直ぐに前だけを見据えた漆黒の瞳。好奇の視線に晒されながらもそれはいっそ潔さすら感じる。
そして重い衣装に歩きにくいはずの三枚歯下駄でありながらその足取りは重くも無く、背筋はすっと真っ直ぐだった。
そこかしこで感嘆の声が上がる。
思わず手で口許を覆った。
彼女が通り過ぎて行く数秒がまるで何時間のようにも感じた。
耐え切れずに蹲る。
道中に目を奪われている周囲の人間は気付かない。
唯一結局人垣から追いやられたダグだけが、ラビの異変に気付いた。
「若旦那、どうしました!?」
「う…………」
気持ちが悪い。
吐きそうだ。
蒼白な顔で蹲るラビに、道中が過ぎていき壊れ始めた人垣の人々が気付き始める。
「兄さん、どうしたんだい?」
「分かりません、突然苦しみだして…………」
「おい、何処か休めるところ貸してやれよ!」
「うちの二階でよければ…………」
「ありがとうございます、恩に着ます! 若旦那、立てますか?」
しかしそんな周囲に口を挟む余裕も、強引に肩を取られ立ち上がらせられた事にもラビは何も返せない。
花街の顔、桜雪楼。
そこの太夫だという人は、余りにも似ていた。
余りにも、彼女の母に、似ていた。
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