「身請けの話が出てるだけ、羨ましいものだけどね」
控えの間に戻ると、気だるげに呟く女が一人。けして若いわけではない。けれど華がある。
その娼妓は同じく太夫の座についていて、俺がまだガキの頃にはもう此処にいてその座にいた。
明らかに異国の人間であろう、その金色の髪に因んで名は金蘭太夫、という。…………俺自身が、禿時代に付いていた姉貴分だ。
「あんたにもあるだろう」
「そうは言ってもね…………、楼主の言い値が高すぎて皆諦めてくのよ。まぁいいけど。…………蓮、ちょっと付き合いなさいな」
座れ、と指で示されたので仕方なくその場の、彼女の前に置かれた座布団の上に座る。
最早売り上げやらなにやらの面では彼女よりも俺のほうが上なのだろう、事実筆頭太夫と俺が呼ばれるようになってから、久しい。
けれど話術に芸と学問、それ以上に客達の裏事情に通じた影日向共に権力者である彼女には、この色街に住む者ならば誰一人として頭が上がらない。
花街の姫帝とまで称される訳だ。
「…………聞いたわよ? こないだ遣り手が初会の客を引き込んだんだって?」
「…………ああ」
早速耳に届いたか、と微かに眉根を寄せた。
そんな俺の様子に構う事は無く相手は続ける。
「あれは…………ブックマンの所の若旦那ね?」
「!」
どくん、と心臓が大きく鳴った。
「顔…………見知りなのか?」
「当代共々ね。っていっても、枕目的じゃなくて話聞かせて欲しいって事だったけど」
義理として三夜訪れてそれきりよ、と彼女は笑う。
けれど俺はその話を聞いて、彼女が此処で待ち構えていた理由を悟った。
三度通って馴染みとなったら、他の娼妓に通うことは許されない。
それも、同じ楼の別の太夫になど…………彼女からしてみれば侮辱もいい所だろう。
「…………それは、知らぬ事とはいえ…………すまなかった」
「あら、勘違いしないでよ? 何もあんたに男を盗られたって喚くつもりじゃないんだから」
ふふ、と紅い唇を吊り上げて金蘭が笑う。
ならば一体、と視線で先を促せばふ、と笑顔を引っ込めて、内密な話をするように声を潜めた。
「…………最近そのブックマンの所の若旦那、あんたの事嗅ぎ回ってるわよ」
「…………!」
小さく息を呑んだ。
「それも蓮宮としてのあんたじゃなくて、其の前をね。…………ねぇ、心当たりあるの?」
問われて俺は俯くしかない。
彼女は知っている、俺が此処にいる理由も、俺の此処に来る前の事も。
恐らく調べようと思えばいくらでも調べは付くのだろう。ただ、敢えてそうしないだけで。
俺が拒めば、それ以上はきっと踏み込まない。そういう人間だ。
「…………昔、縁があった」
「…………」
「……………………、許婚、だったんだ」
小さく呟けば、流石に想定外だったのか微かに相手が目を見張る。
「家が取り潰される前までの…………結局は破談になった話だが」
「あんたの家って…………ううん、いいわ。問題はどうして今更? って事かしら」
「ああ。…………俺にも正直分からない」
本当に、何故「今」なのだろう。
ふと、金蘭が思い当たる節でもあったのか眉を寄せた。
「…………余所に取られるのが勿体無くなったのかしらね」
「…………?」
「マリアン家から今身請けの話があるでしょう? あんた。マリアン家も異人の商家じゃない、話をどこからか聞き付けてきたのかもね」
「…………俺には勿体無いでどうこうできるような値段は付いてない筈だが」
「嫌味に聞こえないのが不思議ね、その台詞」
金蘭に呆れたように言われたが、事実だ。
少なくともあれだけの大商家であるマリアン家ですら俺の身請け代は簡単に出せる金額ではない。
…………最も、あの家に俺自身、身請けされるつもりがないのだが。
俺は、小さく溜息を付いた。
「まぁ、どうでもいい。次があるとすれば客と太夫、当たり障り無く持て成すだけだ」
「…………あんたがそう言うなら、いいけどね」
双方溜息を付いて、それが終わりの合図になった。
控えの間から私室へと戻る道すがら、ふと廊下の窓から見える空は白んできている。
意味無く手を伸ばして――――――引っ込めた。
「外」を望む事など、他の娼妓ならまだしも俺には愚か極まりない。
俺は一生、此処で生きていく。
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