僕の師匠でもある義父は変人で、女遊びが激しく金遣いの荒い人だ。それは最初の妻が亡くなってから酷くなったと聞いている。
そんな人の下に嫁ぐ事になった女性とやらに、最初に抱いたのは同情心。
次いでその人が婚家から離縁され実家に戻された人であるのだと聞かされて、ああ、彼女はきっと親兄弟に厄介払いされたのだろうな、と尚更哀れに思った。
――――――そして義父と新しく義母となる人の婚儀の前夜に、初めて顔を合わせたその人は。
とても美しく、そしておよそ一切表情らしい表情の無い、人形のような人だった。
実は僕は、お義母さんの声をまともに聞いた事が無い。
元々物静かだったのだろうけれど、殆ど全く喋らず、ただ黙々と師匠と僕の身の回りのあれこれを整えて、そしてそれ以外のときは小さな箱を前にして、日がな一日部屋の中で正座しているような人だった。
当然僕からしてみれば嫌うような要素は無いにしても、何処と無く得体の知れない、不思議な人だと思っていた。
そんなお義母さんに、どんな過去があったのか知ったのはお義母さんが病に倒れて長くないと知った時。
その箱の中には何が入っていて、それを見ながらどんなに辛い思いをしていたのか。
お義母さんが最期に呟いた、「あの子を助けて」という小さな小さな、きっとこれまで何度も言いたくて、けれど言えなかった言葉。
そして、僕らは――――――あの人に出会った。
「師匠、お出かけですか?」
「ああ」
数人の使用人に荷物を持たせて屋敷の玄関にいた師匠を僕は階段の上から見つけて声を掛ける。
「そういえば。義姉さんは元気そうでしたよ」
「そうか」
昨日訪れたばかりだ。いつも通り綺麗で、――――――けれど、何かに悩んでいるようにも見えた。
「ついさっき嫌な噂を耳にしてな」
「噂、ですか?」
「お前も知っている顔だろう。千年伯爵の六男、ミック卿がどうもアレを身請けする算段を立てているらしい」
其の名を聞いて、僕は瞳を細めた。
ティキ・ミック卿。異国の貴族でありながらこの国の中央政権にも食い込んだ千年伯爵の六男。
六男、と爵位を継承するには余りにも遅すぎる生まれながら、本人の才覚と器で若年貴族の中では聞こえた名前だ。
何度か夜会で見かけたことのある、褐色の肌の色男。
――――――何より問題なのは。
「千年伯爵はアレに何をするつもりか分からん。ミック卿は手先で動いているだけかもな」
彼が義姉さんにとって仇である、千年伯爵の息子である事――――――。
かつて義姉さんの家族を殺させたのは、千年伯爵なのだから。
「これは急がないと不味いかもな」
師匠の低い呟きに僕は頷いた。
師匠はそのまま僕に背を向けて数歩踏み出して、それからふと思い出したように僕を振り返る。
「そういえば噂と言えば…………アレン」
「はい?」
「お前、ブックマン家の跡取り息子とは顔見知りか?」
「…………ラビ、ですか?」
僕より三つ程年上の、紅い髪の青年だ。人当たりがよくて社交的で話術が巧みで、夜会ではモテるタイプ。
言って見れば商売敵なのだから、個人的に然程親しいわけではないけれど顔を見合わせれば挨拶くらいはする。
「そいつがどうやらアレの事を嗅ぎ回っている。――――――お前の方から探りを入れとけ」
「――――――…………」
小さく息を呑む。
彼が。
――――――何の為に?
「分かりました。――――――行ってらっしゃい、師匠」
ゆらり ゆらりと
惑うように舞う、漆黒に鮮やかな色模様の揚羽蝶。
「――――――…………」
金の鳥篭に籠められた蝶の舞に、しばし目を奪われ。
次いでこれを寄越した相手の思惑に小さく嘆息した。
昼過ぎにやって来た使いの者が携えていたのは、これだったのか。
「――――――このままでは飢えて死ぬだろう。放してやれ」
座敷の隅に控える禿に言いつけると、困った顔で首を振った。
「姉様、ご覧下さい。鍵が掛けられております」
「――――――…………」
見れば格子に金細工の鍵が掛けられている。
寄越したのは、そしてこの鍵を持っているのは――――――。
「悪趣味な真似を…………」
小さく呟いて。
「…………今日中にミック卿がお出でになるだろう。支度を」
「畏まりました、姉様」
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