「ジジイ」
「何じゃ?」

 屋敷に戻って、俺はジジイの部屋に向かった。 
 ジジイは背を向けて盆栽を弄っている。

「聞きたい事があるんだけど。ユウの話」

 パキン。
 枝が切り落された。

「ジジイ、知ってたんだよな。全部。大名家とユウの縁談も、その為に俺との婚約を破談にしたってのも。全部、ジジイの嘘だったんだよな」
「――――――…………」

 パチン。
 また一枝、畳に落ちる。
  
「――――――恨むか」

 たっぷり時間を置いてから、ジジイがぽつん、と呟いた。
 いつも厳しいばっかりのジジイなのに、何故かその時のジジイは、酷く小さく見えた。
 俺はジジイが見ていないのを承知で首を振る。
 
「…………恨んじゃいないさ。――――――多分ジジイのやった事は間違ってない」

 当主には守らなきゃいけないものは一杯あった。
 一族を。身内を。家を。使用人を。俺を。
 全部を守りきるのにはきっとジジイ一人じゃ難しかった。
 ――――――だから、切り捨てた。

 でもまだ覚えてる。もう一人の孫のように、ジジイがユウを可愛がっていた事。

「――――――…………」


 パチ、ン。
 小さな花を付けた枝が落とされた。

「――――――だけど、でも、ごめんさジジイ。俺、やっぱりはいそうですか、って納得できないさ」  
「――――――だろうな」
「…………だから、もしもこれから、俺の所為で何か咎めがありそうだったら。その時は切り捨ててくれていい」

 其処まで言うと、ようやくジジイが振り向いた。
 予想に反して、怒っているようでもない。この馬鹿め、とどやされる事を覚悟していたのに。

「――――――そうか」

 ただ、否定もなくただ一言自然にそう答えられた。

「――――――うん。ごめんジジイ、馬鹿な孫で」
「…………そんなのは昔からじゃ。知っておる」
「うん、ごめん、――――――ごめん…………」
「…………自分勝手なのはお前の気質だ、…………好きにするがいい」
 
 溜息混じりに言われた言葉はそれでも赦しの響きを持っていて。
 俺は笑うことも泣く事も出来ない微妙な顔で、再び背を向けたジジイの背を見ていた。










 篭に籠められ、飛び方を忘れ。
 空を諦め、太陽を恐れ。
 
 それでも俺は蝶だった。




 体中が、痛い。痛くてだるい。
 蒲団に手を付いて何とか半身を起こし、溜息を付いた。
 知らない異国の煙草の香りが頭痛を誘う。
 乱れた蒲団の上と室内に、酷い有様だ、と頭の一部が冷静に考える。
 
 ――――――獣の交いでも、こうはならないだろう。

 ちら、と視線を落とした先は日に当たらぬ所為で青白い己の肩。克明に刻まれた歯形を見て、一体何のつもりと心の中だけで相手を詰問する。
 一しきり抱いて満足したのか、ミック卿はこちらに視線をやらず、煙草を供に外の月を見上げていた。 
 音を立てぬように蒲団の上から引くと紅い跡が点々と散っていた。生娘でもあるまいに、と感慨無くそれを見下ろす。
 
 ミック卿に背を向けるようにしてから内掛けだけを羽織る。肌を隠せる物を纏えて、ようやく僅かながらに安堵した。
 幾度となく、誰と無く枕を共にしようとも、今だこの行為には慣れなかった。嫌悪感を隠せるようになったのがつい最近という有様だ。これで太夫というのだから我ながら恐れ入る。
 
「――――――!」
 
 何時の間に移動したのだろうか。 
 不意に背中に人の温もりが触れて、思わず身体がギクリと震えた。
 煙草の香りが、近い。
 後ろから抱き寄せられた格好で、思わず振り向いた肩越しに視線が交わる。

 ――――――ああ、また、だ。
 
 まるで慈しむかのような、その眼。
 俺が最も苦手とする、あの眼、だ。
 酷薄であったり冷酷であったりするのに、ふとした拍子にそんな眼をする。
 
 ――――――だから俺は、あんたが大嫌いなんだ。

「――――――ねぇ、ユウ」

 知る者は殆どいない真名を呼ばれる。
 
「此処から出たくない?」
「……………………」

 言葉の真意を測りきれずに沈黙を返す。
 言葉の表面だけをとるならば、それは身請けの誘いなのだろう。
 珍しい事ではない。莫大な金額と知りながらそれを口にする輩は多い。それは気まぐれであったり見栄であったりと様々な理由からだ。
 俺からしてみれば、こんな性欲処理以外にこれといって用途のない人形に何を考えてそんな対価を支払おうというのか理解できないけれど。

「――――――私は」

 すい、と視線を相手から外す。

「解き放たれても、寄る花を知らぬ蝶ですので」

 外で生きていけぬなら、いっそ空を怖れる蝶でいい。
 薄く自嘲に笑みを浮かべる。
 すると、背後にいた相手の重みがふと消えた。

「――――――そう」

 ちゃり、と胸の間に冷たい金属の感触。
 金色の鍵がそこに滑り落とされた。  
 
「…………」
「約束通り、それはあげるよ。じゃあ、またねユウ」

 見送りを、と声を上げる隙も無く、ミック卿は座敷から出てった。
 取り残された形の俺はしばし呆然と襖を見つめ、しかし意味がないと思い至り身体を起こす。
 身体の清めと、あと、そうだ。
 あの蝶を――――――

 私室に戻った俺が見た物は、
 鳥篭の中で、落ちて動かなくなっていた蝶だった。

「…………」

 まるでその様が打ち捨てられた亡骸のよう、で

「――――――っ」

 俺は、その前に崩れ落ちた。





<続>



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