「入るぞ」
「…………あ、」
元は寺だった診療所。
主は昔馴染みの医者兄妹だ。口が堅く、信が置ける。
その一室に、その娘はいた。
楼にいる時とは異なる、桔梗色の着物。
「もう起き上がれるのか」
「御陰様で」
蒲団の上に半身を起こして、外を見ていたらしい。
――――――あれから、二ヶ月。
此処に運び込まれて最初の内はこの俺すら眉根を寄せたくなる様な状況だった。
薬が切れ、副作用に苦しみのた打ち回る姿はとてもじゃないが痛々しくてガキ共には見せられたもんじゃなかった。
「――――――お前の一族への罪状は全て撤回された」
親類縁者一族皆殺しにされた後では、余り意味が無い。
けれど家名と名誉を重んじる武家の娘には、それは救いだろう。これで家族は、死後とは言え漸く汚名を返上できたのだ。
「…………!」
「お前はもう追われる事は無い。…………死罪にされたお前の親類縁者の分、見舞金が出るそうだ。つっても、お前はそんなもん欲しくもないだろうがな」
じっと、漆黒の双眸が俺を凝視する。
…………胸の内を乱す母親譲りのそれに、俺は苦笑した。
「…………身体が癒えたら、俺の所に来い。楼主の許しは取ってある。…………無理にとは言わんがな」
「俺は…………これ以上迷惑は…………」
「迷惑だったらそもそも引き取らん。お前はあれの娘だ。…………なら俺の娘でもあるだろう」
双眸に緩く水が溜まって行く。抱き寄せた震える肩は想像よりも尚細く華奢だった。
「…………よく耐えたな」
・ ・ ・ ・
半年近く病を得て静養していた色里一の楼の筆頭太夫の、つまりは色里一の太夫が身請けされるとの話は瞬く間に広がった。
街のあちこちで、人々が噂し合う。
「いやぁ、あれだけの娼妓を身請けできるとは何処のお大尽かねぇ」
「しかし珍しいね、披露の宴を開かないとは」
「さては身請金だけでもう首が回らんのかね?」
「いやしかし、桜雪楼の出入りの髪結いやら料理屋まで十分なご祝儀を貰ってるそうだよ」
――――――桜雪楼。
楼一の太夫が身請けされると合っても、しかしそこは意外なほどに落ち着きを見せた。
「蓮付きの振袖新造の内、すぐに水揚げ出来る娘についてはそのように。残りは私が面倒を見ましょう」
蓮宮太夫の身請けにより、再び筆頭太夫に返り咲いた金蘭太夫が楼内に手際よく指示を出す。
…………他の楼では類を見ないことではあるが、此処桜雪楼では金蘭太夫を除き皆娼妓は必ず見請けされていくものだ。
故に、大して珍しいことではない。
「…………蓮、支度は済んでるの?」
「ああ」
娼妓として何時でも結い上げ簪を何本も挿していた髪型を改め、頭上高い位置で一つに結い上げた髪。
纏うのは打掛ではなく、鈍色の着物に黒の帯。――――――喪の装い。
紅を刷く訳でもなく、その装いには色香の欠片もない。
彼女はこれから、死んだ親類縁者の喪に入るのだという。
「それにしても見送りもいらないって、あんたって子は…………」
「俺の為に皆の仕事やら睡眠を邪魔する訳には行かないからな」
…………元々見栄とは縁の無い子ではあったけれど。
彼女の私物の着物やら簪やらは、一部を除いて妹分達に分けられている。
けして優しい姉貴分では無かっただろうに、それでも彼女達は蓮宮との別れを泣いて惜しんだ。
それでもそれが彼女の幸福に繋がると知っていたから、止めるような事を言う娘はいなかったが。
「…………あの子らを、よろしく頼む」
「ええ、任せなさい。貴方みたいな名妓に育てて見せるわ」
「――――――あんたには、世話になった」
深々と、改めて頭を下げた。
「本当にね。あんたは中々問題児だったわね」
まだ幼い、連れてこられたばかりの死んだ目の少女。
あの少女が、今此処を出て行くのだ。
自分の育てた娼妓が身請けされるのは初めてどころか何十度もあったけれど、それでも感慨深い。
何時の間にやら自分を越した背丈の彼女を抱き締めて、心底愛おしく金蘭は囁いた。
「――――――蓮。幸せになりなさい?」
「…………ああ」
「おめでとう、ごきげんよう。――――――どうか、幸せに」
「挨拶は済んだのか」
「ええ」
身の回りの持っていくものは小さな行李一つ分。
それだけ携えて外に出ると、既に一台の俥が止まっていた。
その前に、二人。
「義姉さん、持ちますよ」
「いい、持てる」
「女の人に荷物持たせてなんかいたら、僕が師匠に叱られます」
言いながら此方の荷物を持っていくアレンに、小さく笑い。
そして楼を振り返った。
色街一の楼、桜雪楼。
…………此処での暮らしは、良かった事より辛かった事の方が多かった。
けれどそれでも、此れまでの人生の半分近くを過ごした場所でもある。
此処で俺は終わって、――――――そしてまた始まった。
「ごきげんよう――――――ありがとう」
然様ならば、御別れ致しましょう――――――お元気で。
呟いて、そして先に俥に乗り込んだアレンの手助けで俥に乗った。
そして義父を乗せ、日中の静かな色街を、俥は走り出した――――――
<続>
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