ざわり、と平らな胸の内に波が立った。
二度と見える事など無いと思っていた。そうであって欲しいとも。
自然と拳を握り締める。やり場の無い激情。
炎のような紅に深緑のような色の瞳。かつて自分が恋した、幼い日々の象徴。
「…………、…………」
立ったままでゆっくりと息を吸う。
いくらか、平静を取り戻せた気がした。
「さて…………お会いした事がございましたでしょうか」
あえて白を切ってみる。無駄な事だと、そんな事は知っている。
ブックマン一族は、けして忘れない。
「……………………」
客の、…………ラビの瞳の色が、冷たくなった気がした。
背筋が冷えるのを、感じる。
見るな、その瞳で。そんな目で。
今更、何の用なんだ。
「ユウ」
再度名を呼ばれる。
隠しきれていない怒り、が。
「っ!」
立ち上がったラビが、乱暴にこの腕を引いた。
膳に足が引っかかり、上の徳利が引っ繰り返る。身体を強かに打ち付け、一瞬呼吸が出来なかった。
「…………っ…………ぅ…………」
「ねぇ、ユウ。教えて欲しいさ…………どうしてこんなとこにいんの?」
「…………無礼な」
自分でも驚く位、低くて冷たい声が出た。
ラビの動きがぴたりと止まる。
「花街の流儀も知らぬ若造が登楼か。…………随分と此処も舐められたもの」
「なっ…………」
「所詮は遊女と侮ったか。…………しかし言わせて貰えば女に慰めを求める男共がいてこそ」
「…………っ!」
「私に触れるならば相応の礼を持ってもらおうか。…………桜雪楼筆頭従五位蓮宮の名、伊達ではないぞ」
ひた――――――と。
相手の首筋に、懐に隠していた小刀の抜き身の刃を押し当てた。
このまま掻き切ったなら、紅い血が降り注ぐだろうか。
「――――――退け」
身体が熱に浮かされる。怒りと、それ以外の何かで。
けれど、
「…………無礼な」
そんな熱が、まるで冷水でも掛けられたかのように冷えた。
冷え切った声。冷え切った眼差し。拒絶と侮蔑。
「花街の流儀も知らぬ若造が登楼か。…………随分と此処も舐められたもの」
「なっ…………」
「所詮は遊女と侮ったか。…………しかし言わせて貰えば女に慰めを求める男共がいてこそ」
ぞくり、と其の言葉に、その瞳に背筋が粟立つ。
寄れば斬られそうな程の強さ。
「私に触れるならば相応の礼を持ってもらおうか。…………桜雪楼筆頭従五位蓮宮の名、伊達ではないぞ」
よく通る声。成程、これが、花街一の――――――
「――――――退け」
「!」
首筋にひやりとした感触。
それが何か理解する前に背中に冷や汗が流れる。
この体勢でどうやってだろうか、刃を押し当てられた。知覚と同時に触れられた所の脈が速くなる。
飛び退って離れると、優雅な所作で身を起こし、そうしてから何の助けも無く立ち上がり、踵を返した。
「…………ユウっ!!」
堪りかねてその名を叫べば、返って来たのは温度の無い眼差し。
「そうして死人の名を叫んで、何を求める?」
「―――――――?」
「無意味だ、全てが」
まるで謎掛けの様な言葉だけを残して、彼女の背は襖の向こうに消えた。
伸ばしかけた、行き場を失った手が、虚しく床に落ちた――――――。
<続>
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